ある日のこと
「ちょっとお話があるんですけど」
「なに?」
「何で最初から結論をいわないんですか?」
「結論って一向専念無量寿仏のこと?」
「そうです。それが結論なんですから、あとは一切言う必要ないじゃないですか!」
「えーと、それはひょっとして最初会った人に『こんにちは』の変わりに『一向専念無量寿仏』っていうことかな?」
「そうです!」(キッパリ)
「そしたら、講演の時も最初から最後まで延々と『一向専念無量寿仏』と繰り返すってことかな?」
「そうです!」(キッパリ)
これ、驚くべきことに実話なんですねー。
皆さんは、どう思われますでしょうか?
それとも「一向専念無量寿仏」という仏教の結論だけを言って誰にでも分かってもらえるなら、お釈迦様が45年間説かれた一切経は不要になるでしょう。
私は相手の方に喜んでいただけるようにと思って仏教の話をするように心がけています。
そうすると、まだ仏教をよく学んでおられない方に、どうしたら分かりやすく伝えることが出来るだろうか、教えを曲げずに、胸に届くようにするには、どのような例を出してどういう順番で話たらいいだろう、と悩みますし、研究をします。
どの道でもそうではないでしょうか?
野球でも、はじめからホームランを打つことはできませんし、バッタバッタと三振に打ち取ることも出来ません。
だから、素振りとか、キャッチボールをするのでしょう。
監督がいきなり「ホームランを打て」というサインを出して、皆それを実行できるなら誰も苦労はしませんね。
大学の授業でも教授に「1回目の授業で結論いって下さい。それで単位ください」という学生がいたら、どうでしょう?
何事も手っ取り早く手に入れたい、というのは人間の本音かもしれませんが、現実はそんなに甘くない!のでは。
すぐに結論だけを言わないのは、意地悪ではなくて、逆に、相手の幸せを念じてのことなのです。
わかって欲しいものです、このココロ☆