北陸中日新聞(21年3月29日)を読んでいると、井上順孝國學院大學教授の記事が眼にとまりました。
「宗教情報を調べるということは、インターネットの使い方という技術上の問題で片付くわけではない。
その情報の質や背景といったものについての知識や洞察が必要になってくる。
情報リテラシー(情報を十分使いこなす能力)は、宗教について調べようとしたり、知ろうとしたりしたときにも重要な課題となる。ネットで宗教情報を調べるとき、その教団情報を調べるとき、その教団のホームページ情報だけに頼ると、もっぱら肯定的な意見を集めることになる。
『2ちゃんねる』に代表される掲示板サイトに依存すると、否定的な意見に傾くかもしれない。」
「一つの意見に従うだけでは深い考察にはいたれない。はっきりした賛否両論もある程度知らなければならない」
同時にこのような危惧を訴えていました。
「大学でもネット情報の使い方について教えなければ ならなくなってくる。
ところが、これが少なからぬ教員にとって、かなり困難な話になってくる。
というのも、ネット情報の利用については、しばしば学生たちの方がたけているからである。
年配の教員の中には、いまだに電子メールを使いこなせないという人がいて、そうなると教えるどころではなくなってくる」
これは当っていると思います。
どうどうと、ネット(しかも2ちゃんねる)を根拠として論じている人を見聞きしたことが何度もあり、そのたび唖然としました。
(今はもう、多すぎて唖然ともしなくなってしまいましたが)
大人が情報リテラシーを身につけねば、様々な混乱が起こります。
雑誌でも、ネットでも、人でも、そこから発せられる情報は正しいのか、なんらかの意図によって歪曲されているのか、見極める情報リテラシーが求められているのです。
(※情報リテラシーは高校の倫理の教科書にも出てくる言葉です)
実際、親鸞会は、過去50年以上の歴史において、違法行為を問われたことは一度もないにも関わらず、なぜか、違法行為で何度も問題になっている統一教会、摂理、オウムなどと同一視される傾向が
ありますが、なぜでしょうか?
意図的に同一視させようとする人があるからでしょう。
では、なぜ彼らは違法行為のある団体と親鸞会を同一視させようとしているのか。
本当の親鸞聖人の教えが明らかになると困る人たちがいるからです。
浄土真宗の教えは
「念仏称えていたら死んだら、だれでも極楽」
「葬式、法事によって先祖供養することが大事」
ほとんどの人がこのような理解ではないでしょうか?
そう教えてきた人たちが今も教えている。
しかし、
「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と称ふれば助かるように皆人の思へり。それは覚束なきことなり」(御文章三帖)
「ただ声に出して念仏ばかりを称ふる人はおほようなり。それは極楽には往生せず」(御文章三帖)
「葬喪を一大事とすべきにあらず」(改邪鈔)
という“本当のこと”が広く知れわたると、偽装事件くらいで済まぬ大問題が白日のもとにされされてしまうのです。
だからそんな人たちは
「それだけは避けねばならない。
幸い、世の風潮は、新しく出来た宗教はカルトと思う傾向があるから、それらの団体と一緒の印象を与えておけばいい。
そう思わせることが出来る情報なら何でもいい、誰からでもいい」
となりふりかまわず必死です。
先日、日本の年間自殺者が11年連続で3万人を越えたという悲しいニュースが届けられました。
今こそ「生きる意味」「人生の目的」を明確にせねばならない時でしょう。
僧侶や知識人ならなおのことのはずです。
なのに、真面目に人生の問題に取り組んでいる人にまで
「カルトだ、反社会的宗教だ」
というのは、あまりにも宗教について無知というものであり、短絡的でひどい対応ではないでしょうか。
今一度、情報を見極め、正しく使いこなす情報リテラシーを身につける努力が必要だと思います。