中外日報(平成21年3月31日「人間の苦悩・情念と正対」)
《真宗大谷派、東京で「親鸞フォーラム」開催》───自己肯定の必要性指摘
真宗大谷派は「宗祖親鸞聖人七百五十回忌」の記念事業として、首都圏在住の門徒や一般対象の「親鸞フォーラム」を21日、東京国際フォーラムで開いた。
約千人の聴衆を前に、作家の五木寛之氏が「人間親鸞のすがた」と題し講演。
(中略)パネリストらは、末法にも似た不透明な現代社会で人間の苦悩や情念と正対し、自己を肯定する必要性を指摘した.
宗務総長は「痛ましい事件が世界各地で起きている。私どもは快適で便利な世の中に生きているが、孤独や死や罪という人間の根源的な問題は変わらない。
生きる意味、真の豊かさとは何か、何をよりどころとして生きればいいのかを自ら問うことが大切ではないか」と挨拶した。
ようやく東本願寺も、現代キーワードの一つ「自己肯定感」の根拠を、「親鸞聖人の教え」で示すのだろうかと、ここまで読んで少し期待は膨らみました。
なにしろ「真宗大谷派宗務総長」「親鸞仏教センター所長」といった肩書きが揃っています。
「生きる意味」「真の豊かさ」を問うことが大切 と訴えて始められたのですから、その「生きる意味」の明答をいよいよ親鸞聖人のお言葉で示されるのではないか。
またそうでなければ、とても「親鸞聖人フォーラム」と言える代物ではありませんし、「真宗の宗務総長」「親鸞仏教センター所長」などという肩書きを誇れるものでもないでしょう。
さて、どんな明快な親鸞聖人の教えを聞けるのか。
期待とともに、「五木寛之」の名に一抹の不安を覚えながら読み進めてみると……。
シンポジウムで、ある作家は、現代の若者たちに「正体の分からない悩み」が増えていることを挙げ、「このモヤモヤ感は自己肯定感のなさだ」と指摘。
「若い人たちに新しいうつ病が広がっている。甘やかされて育ったように見えながら実は全然甘やかされていない。自己肯定は他者とのつながりの中で生まれる。自己肯定できなくて命の尊さは理解できない(後略)」と論じた。
(親鸞仏教センター所長の)本多弘之氏は「人間がどう生きるかという意味や価値は科学が発達しても見いだせない。科学からは意味や価値は生まれない。意味を考えるから人は悩む。意味を考えるのは人間しかいない」
ここまでは、その通りです。いよいよ親鸞聖人の明答か。
「しかし、突き詰めていっても答えがない」
えーッ!
追い打ちをかけるように、
「意味の苦悩を乗り越えられたら、どんなに幸せだろうかと考えてきたが、実はそうではないのではないか」と語り「分からないと言うことを素直に言える時代になった」と現代を分析した。
高森顕徹先生著の『なぜ生きる』には、こう言われています。
人生の目的は、
「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船に乗り、未来永遠の幸福に生きることである」
人はなんのために生まれ、生きているのだろうか。
なぜ苦しくても自殺してはならぬのか。
「人生の目的」は何か。
親鸞聖人の答えは、ゆるぎなき確信と勇気を持って、簡潔であざやかである。
「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船がある。その船に乗り、未来永遠の幸福に生きるためである」
主著 『教行信証』 の冒頭に、つぎのように記されている。
難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり(『教行信証』)
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ」
全人類への一大宣言といえよう。
人生の目的は「苦海をわたす大船に乗ること」とはどんなことか、本書のテーマであるが、一言でいえば、
「苦悩の根元である無明の闇が破られ、"よくぞ人間に生まれたものぞ"と生命の大歓喜を得ること」
である。
聖人の著書は決して少なくないが、これ以外、訴えられていることはない、といっても過言ではなかろう。
先に述べたように、聖人は、人生を海にたとえて、苦しみの波の絶えない「難度海」とか「苦海」と言われている。
天下を取り、征夷大将軍にのぼりつめた家康でも、「重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」とみずからの一生を述懐する。
死ぬまで、苦悩という重荷はおろせなかったというのである。
無類の楽天家ゲーテでさえ、「結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、七十五年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間とはなかった」と嘆く。
自由奔放に生きたといわれる女流作家の林芙美子も、「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」と言いのこし、夏目漱石は、「人間は生きて苦しむ為めの動物かも知れない」と妻への手紙に書いている。
「人生は地獄よりも地獄的である」と言ったのは芥川龍之介である(『侏儒の言葉』)。
これらの愁嘆を聞くまでもなく、「人生は苦なり」の、二千六百年前の釈迦の金言に、みなうなずいているのではなかろうか。
だが私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではない。生きているわけでもない。
すべての人間の究極の願いは、苦悩をなくして、いかに明るく楽しく難度海の人生をわたるか、に尽きる。
これこそが人類最大の課題であり、その解答が 『教行信証』 なのである。
そしてその『教行信証』、親鸞聖人の教えが、『なぜ生きる』2部には明らかに示されています。
浄土真宗親鸞会は、この親鸞聖人の教えを自ら聞き求め、信じ、お伝えしている者の集まりです。
フォーラムで提起された、「命の尊さ」といっても、「自己肯定感」といっても、根底には「人生の目的」があり、それは親鸞聖人の教えによってのみ鮮明になることを、然るべき立場の方には訴えていただきたかったと、いつもながら歯がゆい気持ちにさせられた記事でした。
親鸞会会員が見た本願寺の現状 一覧