親鸞会と本願寺の相違点


浄土真宗の正しい御本尊は?

 ×木像でも絵像でもよい
 ○御名号でなければならぬ

阿弥陀仏の救いについて

 ×ハッキリするものではない
 ○救われたら、 ハッキリする

助かるのはいつか

 ×死なねば助からぬ
 ○生きている時に助かる

救われたらどうなるのか

 ×この世で救われたということはありえない
 ○無碍の一道、絶対の幸福になれる

どうしたら助かるのか

 ×念仏さえ称えておればいい
 ○真実の信心一つで救われる

喜んでいること

 ×死んだらお助けを喜べ
 ○現在、助かったことを喜ぶ身になれ

念仏について

 ×念仏はみな同じだ
 ○自力の念仏では助からぬ。
  他力の念仏を称える身になれ

使命としていること

 ×葬式・法事・読経・遺骨の後始末
 ○本当の親鸞聖人の教えを伝えること





マンガで分かる
親鸞会と本願寺の違い





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親鸞会 空白

親鸞会との相違点が分かる
【マンガ】48KOSEN

『歎異抄をひらく』発刊から5年

『歎異抄をひらく』の発刊以降、『歎異抄』の解説書が1冊も出なくなって5年が経過した。真宗界に何が起きているのだろうか。

おのおのがた、討ち入りでござる

『歎異抄をひらく』発刊から丸5年。京都では深刻な動揺が広がっていた。そんな中、ある特殊任務が遂行されようとしていた。

親鸞学徒は本道を往く

48士が京都本山に討ち入り、替え玉を残して、こっそり新門を二千畳へと案内することに。

ハッキリするのが弥陀の救い

京都の本山から二千畳に向かう48士と新門の一行を、群賊悪獣たちが激しく妨害してきた。

弥陀の本願は三世十方を貫く真実

48士たちは、群賊悪獣らの妨害に遭いながらも、ようやく京都の新門を二千畳へと案内することに成功した。

八万四千の法門は浄土の方便の善

京都の新門は、二千畳で開かれた降誕会に参詣し、本当の親鸞聖人のみ教えを知らされ、ある決意を秘め、京都での降誕会に帰りたいと告げた。

急がねばならぬのは永遠の魂の解決

二千畳から京都へ帰る48士と新門の一行。しかし、そこにも群賊悪獣の妨害が待ち構えていた。

どっちの教えが正統?

京都では、新門は替え玉であったことが発覚。聞之助は七重の牢獄へ入れられてしまう。京に向かう48士たちには追手が迫っていた。

唯信独達が親鸞聖人の教え

48士と新門一行は、京都の本山に到着。一方、本山内部では降誕会の説教が始まり、新門として聞之助が原稿を読むことになったが……。

本当の親鸞聖人のみ教えとは

用意された原稿を切り上げ、なぜ真宗は廃れたか、聞之助の熱弁を、本山僧侶は必死で止める。そこに、本物の新門が登場。

ハッキリするのが弥陀の救い

弥陀弘誓の船に乗せていただいた人は、必ず極楽へ往生できると親鸞聖人は仰せです。しかし、生まれたときから乗っている人はありません。

本願成就文こそ至極の教え

仏教の教えの解釈は、人それぞれ、いろいろあって良いのではありません。親鸞聖人は、本願成就文こそ至極の教えと断言され、真実の仏教を明らかにしていかれました。

仏教を正しく教えてくださる善知識

仏教の結論は「一向専念無量寿仏」。「阿弥陀仏だけを信じて助けてもらいなさい」とお釈迦様の教えのままに勧められる方が善知識です。

後生の一大事の解決こそ仏教の目的

すべての人は、滝壺へと向かう船の中にいるようなもの。これほどの一大事はないから、仏教でこれを「後生の一大事」と言われる。この解決こそ仏教を聞く目的なのです。