なぜ親鸞会をやめたのかを読んで


1.なぜ親鸞聖人の言葉がないの?
2.親鸞聖人の言葉 その1
3.親鸞聖人の言葉 その2
4.親鸞聖人の言葉 その3
5.信心決定は「ユートピア」?
6.因果の道理が分かっていない
7.ごまかしの人生
8.本願寺で信心獲得を求める人は
9.親鸞聖人の願い
10.蓮如上人の布教精神
11.マインドコントロール?
12.命の尊厳教える親鸞会
13.哲学者、池田さん急逝を惜しむ
14.後生の一大事について
15.善知識ってどんな人?
16.無条件服従について
17.財施)
18.善知識と悪知識
19.これが獲信か
20.こんな人工信心もある
21.サイデンステッカー教授を悼む
22.ほんとうに知りたいこと
23.都合の悪いことは言わぬ本願寺
24.本願寺「宗制」を改正
25.歎異抄、思いっきり現代誤訳?
26.本願寺派御名号本尊が明確に
27.投稿「その信心は間違いです」
28. 親鸞会に出会って崩れた自力信心
29. マザー・テレサと神の不在
30. 何が助かったのやら……
31. 東京ボーズコレクション
32. セミと死
33. ヴィトゲンシュタインの日記
34. アインシュタインの言葉
35. 幸福感は脳で決まる?
36. 芥川賞作家・川上さんに答える
37. 芥川賞作家・川上さんの悩み
38. ドラマ「白夜行」と歎異抄
39. ジム・ロジャース氏と親鸞会
40. 歎異抄の魅力の源泉
41. 本願寺門主も昔はよかったと歎く
42. ギラリと光るダイヤのような日
43. 西本願寺門主大谷光真氏の信仰
44. サリンジャーも仏教が大好き
45. 獲信した人すべてにあてはまる
46. 脳科学から見た仏説
47. シェークスピアと親鸞会
48. 先端科学も仏教の一部
49. 歎異抄の魅力を語る声
50. 「余命一ヶ月の花嫁」より
51. 「呼吸が止まる」極限の不安
52. 茂木健一郎さんも知りたいこと
53. 体験至上主義者を破るー三木清
54. アーサー・C・クラークと仏教
55. 奥菜 恵さんに、お奨めしたい本
56. プラトン「国家」と親鸞会
57. ジョブズと親鸞会
58. プラトン「ゴルギアス」
59. 哲学に専心・プラトンと親鸞会
60. プラトン「国家」と親鸞会2
61. プラトン「国家」と親鸞会3
62. 死−プラトン「国家」と親鸞会4
63. 心 プラトン「パイドン」
64. プラトン「クリトン」と親鸞会
65. アリストテレス真の智者と親鸞会
66. デカルトと『歎異抄』
67. 難問は分割−デカルトと親鸞会
68. 一度はすべて根こそぎ…デカルト
69. キルケゴールと親鸞会
70. 「たとえ全世界を征服しても」
71. 人間とは精神(心)キルケゴール
72.「不安」−キルケゴール
73. 絶望が最も好む場所キルケゴール
74.『実存への3段階』1
75.『実存への3段階』2
76.『実存への3段階』3
77. ソクラテスの弁明
78. 親鸞会を非難するものたちの大罪
79. 造られた〝獲信体験〟
80. 善の勧めを、なぜ絶讃されたか
81. 真仮を知らぬもの
82. 本物と造花の見分け方
83. アーサークラーク「人間の本質」
84. 葬式だけの寺は不要
85. 生きる意味はどこで決まるか
86. スカイ・クロラ−唯一の問題
87. ウッディアレン
88. 終わりのない日常が人生ではない
89. 偽なる者は甚だもって多し
90. 30年間聞いたが助からなかった
91. もし、そんなところがあれば
92. アレクサンダーもできなかった
93. 趣味や生きがいラッセル幸福論
94. 疑似体験のメカニズム
95. 蓮如上人のお嘆き
96. 獲信の近道?
97. 信仰の奇形児
98. オアシスに潜む 闇の声
99. 三業惑乱に学ぶ
100.善を勧めぬ浄土真宗の凋落
101.「善のすすめ」は弥陀のご方便
102.「心の向き」がポイント
103.どうすれば弥陀に救われるか
104.畏れざれの呼び声



なぜ親鸞会をやめたのかを読んでレッスン


レッスン1.人間の論理について
レッスン2.マインドコントロール
レッスン3.思考停止
レッスン4.トルストイ
レッスン5.まだ分からないのか
レッスン6.夢さめる
レッスン7.五逆罪
レッスン8.謗法罪
レッスン9.聴聞姿勢
レッスン10.感謝の心
レッスン11.不幸な人
レッスン12.自明なこと
レッスン13.幸福な人
レッスン14.真実は一つ
レッスン15.反証可能な真理?
レッスン16.三世因果
レッスン17.破滅の道
レッスン18.ナワをうらむ泥棒
レッスン19.無限の向上
レッスン20.仏法の精粋
レッスン21.日々の精進
レッスン22.疑謗と仏縁
レッスン23.信ずる衆生と謗る衆生




親鸞会関連リンク


マインドコントロールと親鸞会の真実

親鸞会とマインドコントロール「親鸞会はマインドコントロールをしているのではないか」という批判を論破するサイト。
マインドコントロールとは何か、そして、親鸞聖人の教えはいかなるものか、他力の信心とは何なのか、詳しく解説しています。
オススメです!



作者へメール


Top>>親鸞会批判への回答>>5月6日 管理人宛のメール全文
親鸞会 空白

5月6日 管理人宛のメール全文


「なぜ私は親鸞会をやめたのか」管理人様

お返事有難うございました。

「10年聞法した幹部」と言われる貴方の文章に、あまりにも仏法に対する初歩的な誤解、勘違いが多いので、それを指摘し、正していただきたいと願ってサイトを立ち上げ、今もこうしてやり取りをしています。

気の毒なお方とは思いますが、貴方を見下すつもりはまったくありません。
謗法の報いが案じられ、貴方の今後の人生を心配する気持ちからです。

そして、本当の親鸞聖人の教えを、貴方にも、このサイトをご覧の皆さんにも正しく理解してもらいたいと願っています。

火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、空事たわごと、まことあることなきに、ただ念仏(弥陀の本願)のみぞまことにておわします。

親鸞聖人のお言葉です。

一日も早く誹謗の悪夢から醒め、弥陀の本願まことであった、と歓喜する身になっていただきたいものです。

>> 貴方は、そんな本願寺の僧侶と手を組んで、まじめな親鸞会会員に親鸞会をやめるよう
>> にそそのかしているではありませんか。
>
>> また貴方自身が、そんな本願寺末寺の身内ではありませんか。
>> ところが貴方は、その「本願寺なぜ答えぬ」の内容を非難している。貴方のサイト
>> 「親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか」ですが、内容は、「ひどい」の一語。
>> だれも相手にしないのも、当然でしょう。

上記は、すべて根拠の有ることです。

そんなに必死に否定されるのですから、よほど認めたくないのでしょう。

しかし、心当たりは十分あるようですね。
いずれ別な形で、あなた方の正体は明らかにされるでしょう。
それが私の本意ではありませんが、因果必然、蒔いた種は必ずはえる、ということです。

それから、私のサイトも、このメールも、すべて私個人で書いているものです。
親鸞会の公式見解ではありませんし、「親鸞会はこうだ」と決め付けられても困ります。
思い込みの激しい方のようですから、念のため、確認します。

 

さて、今回は質問に答えていただきました。

>> (1)「信心決定はユートピア」と述べておられましたので、親鸞聖人や蓮如上人の
>> お言葉で、「信心決定という体験は間違いなくある」と明らかにいたしました。
>> お分かりになりましたか?

「信心決定という世界はまちがいなくある。ユートピアではない」
ということだと確認しました。

貴方の言いたい事に、「ユートピア」という言葉は適切ではありません。
何度もいいますが、貴方はもっと言葉の勉強が必要でしょう。

>> (2)「親鸞会の教義」と何度も繰返されますが、「親鸞会で教えられていること」
>> と「親鸞聖人の教え」とは、どこか違いが有るのですか?

貴方は、親鸞聖人の教えを親鸞会以外では学んだことがないと言われましたので、違いをお尋ねしても、無理でしたね。
教義的な内容も、もっともっと勉強が必要だと思います。

>> (3)「反証不能な因果の道理が、なぜ真理といえるか」というナンセンスな質問を
>> 繰返していますが、貴方は「反証可能なものでなければ、真理ではない」と思って
>> おられるのですか?
>
> 私が言いたかったのは、「親鸞会の説く因果の道理が、なぜ大宇宙の真理だと言えるのか?
> そんな明確な根拠などないのでは?」ということです。

因果の道理は仏説です。それを信じるかどうかは、貴方のご自由です。

その仏説に対して、「反証不能なのに、真理といえるのか」という問い自体がナンセンスなのです。
10年聞いた幹部だと自称するにしては、あまりにも幼稚な疑問です。

因果の道理を否定するものを、仏教では「外道」といいます。

今の貴方の姿です。

>> (4)科学的な真理のすべては「反証可能な仮説である」ということは、少しでも
>> 科学を勉強した人にとっては常識ですが、貴方はご存知ですか?
>
> 知っていますよ。

それはよかった。勉強されましたね。
それなら、(3)の意味も分かるでしょう。

>> (5)「因果の道理は錯誤相関」と述べておられますが、因果の道理を根幹として
>> 説かれた仏説を、貴方は否定するのですか?
>
> 「親鸞会の説く因果の道理が真実であると思い込む過程」を「錯誤相関」と言ったのです。

支離滅裂です。
「錯誤相関」の意味が正しく理解できていますか。もう一度、よく勉強してください。

われわれが思い込むとか、思い込まないに関係なく、「因果の道理は真理だ」と、釈尊がおっしゃっているのです。

貴方の批判は、因果の道理を説かれた釈尊自身に向けられています。

>> (6)キリスト教社会では、生まれた子供に親が洗礼を受けさせ、教会に通わせ、神の
>> 存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等、これらを宗教とも言わずに
>> 教え込み、信じるか信じないかの判断力さえない子供に信じ込ませています。
>> 彼らは、天地創造や原罪、処女降誕、キリストの昇天や復活など、およそ今日の科学と
>> 相容れない教義を、自然科学的法則や歴史的事実のように語り、クリスチャンは普遍的
>> 真理として受け入れています。だから、その後自らの力で、教え込まれた知識体系に
>> 客観的に反駁することができないのです。
>
>
>> このことは、ユダヤ教でも、イスラム教でも同様です。
>> 死んだら天国、神の国へいけると狂信して、自爆テロまでするものが、後を絶ちません。
>> 「青春を返せ」どころか、「人生を返せ」ではありませんか。
>
>
>> さて、これは内心の自由に不当な影響力を行使する、許されない行為では
>> ないでしょうか。
>> あなたの論法からすれば、これらの社会は、巨大なマインドコントロールをしている
>> ことになるのではないでしょうか。
>
> 私のどの論法からすれば、こういう結論になるのですか?

貴方の引用した文章に基づいてのことです。
何の飛躍もありません。

よく読めば、分かっていただけるでしょう。

>> (7) 作家の五木寛之氏は、「人生の目的」という本の「あとがきにかえて」 の中で、
>> 「悟り、来世、浄土、輪廻」などは物語だと書いています。
>> この五木氏を、何と本願寺は賞讃しています。淨土を物語として「死んだらお助け」
>> と説いているという点で、同じ程度と言うことでしょう。
>> しかし、いかに共感して信じようとも、それが単なる物語であれば、やはりそれは、
>> 現実の苦しみから逃避するごまかしにすぎません。
>> いかに、死後の華降るお浄土を夢見ていようと、神の国を思い描いていようと、死ぬ
>> ときには、「しまった。浄土も天国も御伽噺だった。神も仏も存在しなかった。
>> 思い込んでいただけだった」と言うことになるでしょう。
>> マルクスは、こんな宗教を「大衆の阿片である」といい、レーニンは、「毒酒」と
>> 言ったのです。この世の救いを説かぬ本願寺の教えは、まさに、阿片であり、毒酒と
>> いわれてもしかたありません。
>
>> (8)後生の一大事は自明のこと、と言いながら、まったくそれを説かず、また解決の
>> 一本道である「一向専念無量寿仏」も教えない本願寺が、もはや救いがたいほど腐敗
>> 堕落の極に達していることは、貴方も認められているとおりです。これまで、本願寺の
>> 多くの御門徒が、だまされてきた被害者であることを、貴方はどう思われますか。
>>
>> また、その本願寺被害者を何とか救おうとして、日夜、親鸞聖人の教えをお伝えして
>> いる親鸞会の活動を、貴方は阻害しているのですが、その自分の行為が、本当に
>> 「人助け」だと思いますか。

>
> さて、「本願寺の多くの御門徒が、だまされてきた被害者」であるかどうかは、
> 私にはよく分かりません。浄土真宗の「教え」を聞きたいと思って、本願寺の門徒になったのに、
> 教えを聞かせてもらえないのなら、被害者だというのはよく分かりますが。

そういう被害者が、実にたくさんおられます。

親鸞会そのものが、本願寺の被害者の会、と言ってもいいでしょう。
(参照:親鸞会と浄土真宗の現状

かつては、全国の真宗門徒は二千万と言われていましたが、それらの方々に、本当の親鸞聖人の教えが、まったく説かれてこなかったのです。
だから、どんどん新興宗教に流れて、今は、門徒は激減です。

親鸞聖人や蓮如上人に、申し訳ないとは思わないのでしょうか。

こんな話があります。
仏壇の前で、念仏を唱えていたおばあちゃんに、お孫さんが「ばあちゃん、何で念仏唱えているの?」と尋ねると、「こうして念仏唱えておれば、死んだら極楽へいけるんじゃから」と答えたというのです。

「信心為本」「唯信独達」(他力の信心一つで、人生の目的が達成できる)という親鸞聖人の教えが、まったく伝えられていないのが、現在の本願寺の実態です。

まさに、本願寺の門徒は、あなたも認められたとおり、本願寺の被害者です。

この現状を嘆かれ、
「なんとかして本当の親鸞聖人の教えを明らかにしなければならない」
と立ち上がられたのが、高森先生であり、その高森先生の教導を仰ぎ、自らも親鸞聖人のみ教えを聴き求め、一人でも多くの方々にお伝えするものの集り。

それが、浄土真宗親鸞会です。

> ある人たちが「被害者」か「被害者でないか」は難しい問題ではないでしょうか?

正しい教えが説かれているのなら、もちろん「被害者」ではありません。
しかし、まちがった教えが説かれていたり、まったく教えが説かれていないのならば、「本願寺の被害者」です。

>「伝統にあぐらをかき、親鸞聖人の教えを説かない
> 本願寺のふがいなさは、私も十分感じていますよ」
>
> 「建物や儀式ばかりに力を入れて、僧侶に本職たる教えを尋ねても、
> 何も知らないような人が少なくないのも事実でしょう」

と本願寺に対する怒りをあらわにされたのは、貴方がたではありませんか。

自分の述べたことを、忘れないでください。

いまさら遠慮されずに、本願寺の誤り、ふがいなさ、親鸞聖人の教えを破壊する大罪を、ともに正していこうではありませんか。

>> (9)貴方のサイトを見た、何人もの退会した方から、「私は、あんな恩知らずに
>> なりたくない」とか「親鸞聖人の教えは、今でも信じています。あんな卑劣な人間と
>> 一緒にしないでください」というメールを数多くいただいています。貴方は、これを
>> どう思いますか。
>> つまり、貴方は、いろいろな事情で退会された方々の気持ちまで踏みにじり、傷つけ、
>> 新たな被害者を生み出していることになるのですが、このことを人間としてどう思われ
>> ますか?

>
> もし、そのように思われた方が本当におられるのなら、私としても大変に心苦しい事です。

尊い反省です。忘れないでください。

>> (10)この世でハッキリ救われるという「平生業成」の教えが、親鸞聖人の教え
>> 以外にありましたか?
>> お得意のネットで調べてみて、結果はどうでしたか?
>> 人生の目的が、親鸞聖人の教え以外に見つかりましたか?

>
> すみませんが、私は別にネットは得意ではないですよ。

貴方がたのお仲間に、お得意な人物がいるということです。
このようなサイトを制作して管理する人ですから、ずいぶん得意なはずですよ。
上記、まだでしたら、ぜひお調べください。

「この世で完全に救われる」平生業成の教えが、親鸞聖人の教え以外に存在するかどうか。

親鸞聖人の教え以外に、人生の目的があるかどうか。

よくよく調べて、人生を選択されたらいいと思います。

>> (11)『顕正新聞』には、大学生の子供から仏法を聞いた両親の喜びの声が、
>> しばしば掲載されています。「親には言うな」というような指導が本当になされて
>> いるのなら、こんな事実はどうなるのでしょう。
>> また、祖父母や親戚、友人と一緒に聞法、という話もよく聞きます。
>> 「ご恩のある人、大切な人に、仏法を伝えよう」という気持ちの表れではないで
>> しょうか。
>> 事実、一人の大学生から親へ、祖父母へ、お世話になった人たちへと、どんどん法の
>> 輪がひろがっている事例が、いくつも報じられています。
>>
>> 「マニュアルどおりのことが組織的体系的に行われている」という貴方の主張と、
>> まったく反しているこれらの事実を、貴方はご存知なのですか?
>
> まず、子どもから親へ親鸞会の教えが伝えられている事実は私も知っています。

しかもその数は、最近どんどん増えています。

数や比率など知る由もありませんが、つまり、「親には言うな」などという「マニュアルどおりのことが行われている」というのは、まったく事実に反することなのです。

>> (12)「引き離し」「兼部カット」なども、仮にこれが事実としても「巧みな情報
>> 操作」などという大げさなものでしょうか。熱心なサークルなら、どこでも「兼部する
>> な」と言うし、それがいやなら、やめればいいだけの話です。「引き離し」など、
>> みんなケータイのメール交換をして自由に連絡を取り合っている時代に、できるわけ
>> がありません。
>>
>> それでも貴方は、「親鸞会ではマニュアルどおりのことが行われている」と強弁する
>> つもりですか?

>
> まず、そんな大げさなものでないのならば、あのマニュアルを公開することに、全く
> 異論はないと思いますが、いかがでしょうか?何しろ、熱心なサークルなら、どこでも
> この程度の事はあるのですよね?

論理のすりかえです。

「巧みな情報操作」ではないし、「だからマインドコントロールだ」などと主張する貴方の論法はかなり変ですよ、と言っているのです。

>> (13)あたかも仏説の全てを、「人間の智恵で、全て理解できる」と誤解を与えかね
>> ない表現を使っている、とのことですが、そんな誤解をするのは、貴方くらいでは
>> ないですか。
>> 「絶対の世界が、相対の人間の智恵で完全に理解できるはずがない」というのは、
>> 大学生程度の知性があれば、普通は常識です。また、そのように何度も言われたはず
>> です。
>>
>> 親鸞聖人も、弥陀の誓願を「難思の弘誓」「超世の悲願」「弥陀の誓願不思議」と
>> 言われ、救われた絶対の境地を「不可称不可説不可思議の信楽」と喜んでおられる
>> とおりです。
>>
>> 「仏説のすべてを、人間の智恵で理解できる」などとは、普通、誰も思いもしませんが、
>> 貴方は思われたのですか?
>
> 私は、親鸞会のサークルに入る時に、「このサークルの話は聞けば必ず理解出来る、
> 聞けば必ず納得のゆく話、納得のゆかない話は一つもないから」と聞きましたし、
> 今でもそのように言われているという事実は、現役学友部の方々の証言によって、
> すでに確認できています。

「絶対の世界は、体験しないと分からない」という話は、だれでも納得できるでしょう。
当然のことですから。

だから、「納得のゆく話」というのは、そのとおりではないですか。

「絶対の世界が、体験しなくても頭で納得できる」などとは、だれも言わないでしょう。

「続・読んで」に庄松同行の言葉を示したとおりです。

> 「うちのサークルで話をするのは仏説ですから、人間の知恵では理解出来ません。なにしろ、
> 絶対の世界ですから」と説明するのなら、誤解が生じることもなく分かりやすいでしょうが。

相手に本当に分かってもらおうという気のない、冷たい言い方だと、私は感じます。

>> (14)貴方が展開しているような、「マインドコントロール論による入信の説明」を、
>> 専門家は不毛と断じ、「宗教社会学の議論からは認めることができない」と批判して
>> いますが、それでも貴方は、「親鸞会はマインドコントロールしている」と言い張る
>> のでしょうか。

>
> 専門家とは、北海道大学の櫻井教授のことでしょうか?

貴方が引用された文中で、ハッキリ断言しています。

落ち着いて、もう一度よく読んでみてください。

統一教会が、それをどう悪用したか知りませんが、親鸞会とは、何の関係もありません。
何の根拠もなく、霊感商法などの反社会的な行為を繰返す統一教会と同一視する貴方の論法は、ただの言いがかりです。

> こうした誤解や拡大解釈が生じないように、静岡県立大学の西田公昭助教授は、「破壊的
> カルトのマインドコントロール」とあえて定義し、その事例を事細かに説明しています。
> 私はそうした「破壊的カルト」の事例と親鸞会の勧誘が似ていると指摘している訳ですが、
> その類似性については全く反論出来ないようですね。

無意味な内容のくり返しですね。

もう、この程度の反論しかできないのでしょう。

「破壊的カルト」は、そういう事実があるから、そう言われるのです。

親鸞会には、50年間、「破壊的カルト」と言われるような事実は、まったくありません。

>> (15)親鸞会のように、過去50年間、反社会的な問題がまったくなく、地域の
>> 皆さんとも良好な関係を保ち、学生たちにしても、「酒もタバコもやらず、ギャンブル
>> や乱れた異性関係などもない、親鸞聖人の教えを学ぶ、まじめな集り」に対して、
>> 「マインドコントロール」などという言葉自体が、そもそも不適切と思われますが、
>> どうでしょうか。

>
> 統一教会やエホバの証人の学生も、酒やタバコをやっていないそうですが、それとマインド
> コントロールと何か関係があるのでしょうか?

「統一教会」や「エホバの証人」のような反社会的団体でもないし、「オウム」のような「破壊的カルト」でもない親鸞会に対して、「マインドコントロール」という言葉が不適切なのです。

大学でどのようなことがあるか知りませんが、若者が活発に活動すれば、いろいろなことがあるでしょう。

誤解を受けないようにされたらいいとは思いますが、自由な学問の府なのですから、基本的には、誰であろうが、親鸞聖人の教えを学ぶのは、結構なことだと思います。

> また、地元の人の信頼を得ていると言われますが、果たしてそうでしょうか。

本当です。

貴方の体験こそ、私にはとても事実とは思えません。

もちろん、他宗教の方が、心でどう思っておられるかは別として、少なくとも、
「親鸞会さんは約束をしっかり守る」
「いつ行っても、会館の周辺がしっかり整備されていて、実にきれいだ」
そして、
「中は、驚くほど立派で荘厳」
「みなさんの挨拶も気持ちがいい」
と、一様に感心しておられます。

本願寺から、いろいろな心無いうわさを聞いて誤解しておられた方も、実際に来られて一変される人が少なくありません。

こういう事実を、ぜひ知っていただきたいですね。

>> (16)「整理整頓」「お世話になっている人に感謝しよう」「時間を守ろう」
>> 「あいさつしよう」などなど、人間として当たり前のことが、親鸞会ではいつも
>> 勧められています。
>> 因果の道理に基づいて、このような善をすすめることが、マインドコントロールに
>> なるのでしょうか。

>
> 私がいつ、そんなことがマインドコントロールだと書いたでしょうか?

了解しました。

「因果の道理に基づいて、善をすすめることがマインドコントロールだ」などとは、とても言えませんね。

> ちなみに、私も整理整頓、感謝の気持ちをもつこと、時間を守ることには、
> 心がけています。あなたからすれば、「お前は親鸞会に感謝などしていない。
> 恩をアダで返している」とでも、言われそうですが。

仏説を「錯誤相関」だと言い放ち、善知識を平気で誹謗中傷する貴方は、大変な忘恩、背恩、逆恩の輩です。

謗法罪を造りどおしの、大変、哀れな方だと思います。

>> (17)人生の目的・信心決定に向かって、親鸞聖人の教えの根基「三願転入」を
>> 説ききる親鸞会を、「マインドコントロールだ」などと、貴方は本当に思っているの
>> ですか?

>
> 私がいつ、「三願転入を説く親鸞会はマインドコントロールだ」と言ったでしょうか?

了解しました。

「三願転入を説く親鸞会はマインドコントロールだ」などとは、とても言えるはずがありませんね。

同じ手法を使っても、よい方向に導けば、教育、善導といわれるし、悪の道を勧めれば、洗脳、マインドコントロールと言われるのです。(参照:マインドコントロールと親鸞会の真実

> サイトの趣旨と全く関係のない本願寺の非難をことさら取り上げるのも、
> まさに非難のための非難だと、私は思いますが、いかがでしょうか。

とんでもない。

親鸞会の存在意義を知っていただくためには、本願寺の被害者がいかに多いかを、よく知っていただかなければならないと思います。

本願寺が、本当の親鸞聖人の教えを大衆に説いていたら、親鸞会の存在自体が、そもそもなかったでしょうから。
サイトの趣旨と、大いに関係があるのですよ。

>> (18)親鸞会では、「仏」の説明で、仏法でいう真理は、「科学的真理でもなければ、
>> 数学的真理でもない」と、必ず説明されます。つまり、自然科学的な法則とは違う、
>> ということですが、10年も聞いたというのが本当なら、こんな初歩的なことも、
>> 貴方は本当に知らなかったのですか?

>
> 私がいつ、「仏法でいう真理は、自然科学的な法則と同じ、と言ったでしょうか?

「仏法でいう真理は、自然科学的な法則とはちがう」ということはお分かりですね。

そして、「親鸞会は、仏法でいう真理を、自然科学的な法則とはっきり区別して説いている」ということも、分かっていただけましたか。

>> (19)釈尊45年間の教えを、一度に新入生に伝え、理解してもらえる方法など
>> あるのでしょうか。「小出しにして、いつのまにか本人の意志で納得して選んだ形を
>> とる」のがいけないとするなら、およそ、人間同士の交渉は、すべて成り立たないと
>> 思われますが、いかがでしょうか。
>
> 確認ですが、あなたは「だから、宗教団体だという事を隠して勧誘しても許される」
> という事を言われたいのでしょうか?

またまた、論理のすりかえです。

貴方の文章に対する、こちらの質問ですから、文章の脈絡をよく考えてください。

> 悪意があるかないかなど、非常に主観的なものであり、分からないのでは
> ないでしょうか?私はそんな「悪意をこめて非難している」つもりはありません。

事実でもないことを事実であるかのように言いふらしたり、針小棒大に書きたてたり、誤解を与える事柄だけを取り上げて、何も知らない不特定多数の読者に、親鸞会に対する悪いイメージを植えつけたりするのは、悪意としか言いようがないでしょう。

貴方の場合、そんな文章が多すぎます。

因果の道理を信じられないところからくる愚痴が根本でしょうが、心の中が、かなり乱れておられるようです。
冷静になるためには、もっと時間が必要なのでしょう。

>> (20)結局、貴方の批判は「マインドコントロールとは何か」という本に書かれて
>> いることに、事実かどうかも分からないようなことを、ただあてはめて、「だから
>> マインドコントロールだ」と言っているにすぎません。
>>
>> こんな論法なら、どんな団体でもマインドコントロールしていることにできるのでは
>> ないでしょうか。
>
> 事実かどうかも分からないこととは、どの部分をさしておっしゃっているのでしょうか?
> よく分かりませんので、具体的にご指摘下さい。

ほとんど全部といっていいくらいです。

> あなたの言われるように、「どんな団体でもマインドコントロールしていることに
> できる」のなら、なぜ、とりわけ親鸞会の活動が、各地で問題視され、マインド
> コントロールだと指摘する人が絶えないのでしょうか?

本願寺の僧侶など、ごく一部の人が、悪意を持って撒き散らしているから、誤解する人が絶えないのだと思っています。

貴方のサイトが、もっとも悪質だと思います。

>> (21)親鸞聖人の教えを学び、光に向かって人生を生きていくのなら、私は、
>> 素晴らしいことだと思います。
>> 貴方は、学生時代に仏縁を結び、社会に出て、いろいろな事情で仏縁が遠ざかった方に
>> 対して、「マインドコントロールされていた、親鸞会の犠牲者だ」と思っているの
>> ですか?
>> そんな勝手な決めつけは、それらの方々に対して失礼であり、傷つける心無い言葉
>> ではないでしょうか?

>
> 実際に本人の口から「私は親鸞会の活動により苦しい思いをした」と
> 言われている人がおられ、それらの人については、「親鸞会の活動により被害を受けた
> 犠牲者ではないだろうか…」と思っているまでです。

どんな活動でも、「苦しい思いをした」と言われる方はあるでしょう。

それらの方々も、「決して、犠牲者などではない」と、私は申しあげています。

それが光に向かっての苦しみであれば、すべてはムダではありません。
生かされる苦しみであり、報われる苦労です。

流した涙の一滴一滴が真珠の玉となって返ってくるときが、必ずきます、ということを知っていただきたいと思います。

>> (22)もし、それらの方々が、世の無常や自己の罪悪を知らされたことで苦しんで
>> おられるのだとしたら、それこそ、仏教の結論であり、親鸞聖人が命がけで開顕された
>> 「一向専念無量寿仏」を説ききるしか本当の救いはないと思われますが、
>> いかがでしょうか。

>
> あなたが言われたいことはよく分かります。もし、あなたが本当にそのように思われる
> のであれば、親鸞会の活動によって辛く苦しい思いをする人が、今後なるべく出ない
> ように、最大限の努力をして頂きたいと、切に願っています。

本当に分かっていただけたのでしょうか。

そうであれば、「苦しんでいる人は犠牲者」などという言葉は、絶対に出ないはずです。

仏の慈悲は、苦しんでいる人にこそ重くかかる、と言われます。
真実に向かった苦しみは、決して不幸ではありません。
最も、仏の慈悲に近い方です。

あなた自身も、苦しいのでしょう。

マインドコントロールされようと、されまいと、生老病死は、何人もさけられない人生の真実です。

貴方の命も、刻々と死に向かっています。
「人生から気晴らしを除いたら、退屈と不安しか残らない。最後の幕は血で汚されている」とはパスカルの言葉です。

今の貴方の人生に、光はありますか。

「不思議な解放感」とやらは、今も続いていますか。

「気晴らし」は、所詮、「気晴らしにすぎない」ということが、まだ分かりませんか。

真実を謗り続ける貴方がたの人生は、果たして、どこに向かっているのでしょうか。

泣いても笑っても、真実の道は一本きりです。「一向専念無量寿仏」に徹してください。

これは、釈尊のお言葉です。
無量寿仏とは阿弥陀仏のことですから、本師本仏の阿弥陀仏一仏を一心一向に念じなさい、必ず救われます、と教導なされているのです。
これが、釈迦一代の仏教の結論です。そして、親鸞聖人の教えそのものです。

「一向専念の義は、往生の肝腑、自宗の骨目なり」

蓮如上人も、こうおっしゃっています。
「阿弥陀如来を一筋にたのみたてまつらずば、末代の凡夫、極楽に往生する道、二も三も、有るべからざるものなり」(御文章2帖目8通) 
「末代の悪人・女人たらん輩は、みなみな心を一つにして、阿弥陀仏を深くたのみたてまつるべし。その他には、何れの法を信ずというとも、後生の助かるということ、ゆめゆめあるべからず」(同5帖目19通)

この真実をねじまげ、まったく説いていないのが現在の本願寺です。

そして、このこと一つを明らかにしてきたのが、浄土真宗親鸞会です。

私は親鸞学徒として、この真実の教えを一人でも多くの方にお伝えすることに、これからも努力を惜しまないつもりです。

> 私が思いますに、親鸞会のみなさんは優秀な方が多いですから、心の方向転換をされて、
> 問題点を改善してゆかれれば、今以上に多くの方々に喜ばれる団体になるのではと思います。

親鸞会には、優秀な方が本当にたくさんおられます。

それら多くの方々が、高森先生の教導の元、すたれきった浄土真宗をよみがえらせたい、本当の親鸞聖人の教えを全世界に伝えたい、という思いで、全力で立ち上がっておられる姿に、私は大きな感動を覚えます。
まさに、浄土から還相された方々だと拝さずにおれません。

「本当の親鸞聖人の教えを、お伝えする」
ただ、このためだけに、浄土真宗親鸞会は存在します。

世界に二つとない、素晴らしい集りだと思っています。
だからこそ、世界に類を見ない「二千畳の正本堂」が完成したのです。

そこで、貴方がたはいかがでしょう。

親鸞聖人の教えを信奉される方々なのでしょうか。

もしそうなら、ぜひ聞法に足を運んでいただきたいものです。

二千畳で、親鸞聖人の教え「一実円満の真教」を聴聞しようではありませんか。

人生の目的どころではない。多生永劫の目的です。

過去の経緯など、どうでもいいではありませんか。
意地や我慢など、どうでもいいではありませんか。
ちっぽけなプライドなど、どうでもいいではありませんか。

「仏法に明日はない」
後生は今晩かもしれません。

取り返しのつかない一大事を抱えながら、今のままでは、万劫に悔いを残しますよ。
もたもたしているひまは、もうありません。

「はらからよ 光に向かって 回れ右」
高森先生のお言葉です。

貴方がた自身が、心の方向を大転換すべきときです。

「一向専念無量寿仏」の信に向かって、親鸞聖人の明らかにされた三願転入の道を、ともに進もうではありませんか。

 

さて、何回かにわたって、貴方がたとやりとりしてきましたが、貴方がたの非難を通して、親鸞聖人の教えに対する誤解を解き、少しでも仏縁になればという私の目的は、もう果たされました。

法友からも、
「どんな相手か、よく分かりました」
「因果の道理もまだ分からない方のようですから、時間がかかるかもしれませんね」
という声も聞えています。

もう、これで十分でしょう。

心ある皆さんには、お分かりいただけると思います。

釈尊、親鸞聖人、蓮如上人を大善知識と仰ぎ、親鸞学徒は、光に向かって進んでいきます。
仏縁ある方は、賛同され、光明輝く浄土に向かって、ともに進まれることでしょう。

あとは、信じるも、謗るも、貴方がた自身の問題です。

仏縁を念じます。

 

最後に、親鸞聖人のお言葉を。

「この法をば、信ずる衆生もあり、謗る衆生もあるべし、と仏説きおかせたまいたることなれば、我はすでに信じ奉る。また人ありて謗るにて、仏説まことなりけり、と知られ候」

「呼吸のあいだ、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば、万劫にもかえらず。この時さとらざれば、仏、衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔をのこすことなかれ」

一息つがざれば次の生である。永久にもどらぬ人生となる。
ただ今、人生の目的を達成しなければ、いつするというのであろうか。
いつできるというのだろうか。
永遠のチャンスは今しかない。
刻々と迫る無常を凝視して、決して後悔をのこさぬように。

次 >> 5月20日のメール


  <<前 >>次