1月 25th, 2008
本尊は御名号に
» Posted in 本願寺の現状 at 4:32 pm
石山 吉信さん(仮名)
私の義理の父は、門徒総代をしていましたが、その父が亡くなくなった時、住職が
「ここの人は、寺にあまりしてくれなかったからな」
と言ったのです。
それを聞いた私は、大変腹が立ち、すぐに寺と縁を切りました。
その後、親鸞会の講演会のチラシにある親鸞聖人という名前を見て、「よく聞くがどんな人かな?」と思い、学び始めました。
2、3カ月もすると、親鸞聖人のお言葉は不思議でした。聞いたその時は心にグサーッと痛いんだけども、後でほかほか温かくなってくるのでした。
『正信偈』も一日3行ずつ覚え始めました。さらに半年ほどたったころ、蓮如上人のお言葉が気になったのです。
「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。
当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」
家の仏壇の御本尊は絵像だったのです。御名号本尊に早速、変えました。
お仏壇の周りも気になり、神棚、床の間にあった布袋の置物や弁天の額、縁起物といわれるものも一気に処分しました。
小学校から帰った孫が思わず、「神サマがおらん」と声を上げましたので、「一番えらい阿弥陀さまだけでいいんじゃ。一向専念無量寿仏(あみだぶつ)だからな」と頭をなでながら諭しました。
1年近く、親鸞会の講演会に参加して、親鸞聖人の教えに従うなら、人生に後悔はないと確信しています。
親鸞会の会員となり、親鸞聖人の教えに従ってゆきます。
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Date posted: 金曜日, 1月 25th, 2008 4:32 PM | Under category: 本願寺の現状
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