教えを聞きたくても寺の門は閉ざされていた

大山加津子さん(仮名)

 私は島根県出身で、浄土真宗の家に育ち、仏法熱心な祖母に連れられ、寺参りをしておりました。祖母は近くの子供たちに日曜学校を開いたり、布教師の法座の世話もしておりました。

 幼い頃から強く死の問題を意識し、後生に対して不安と恐怖を抱えていました。浄土真宗の教えを学びたくて龍谷短大に行きましたが、真実の教えには出会えませんでした。失望し、さまよっていた日々もありました。

 結婚を機に浄土真宗から離れ、家庭生活を送っておりましたが、子育てに悩むといつも思い出すのは、

「見てござる、聞いてござる、知ってござる。この世の父母は体の親様です。仏様は心の親様です」
 祖母から聞いた、この言葉でした。

 どこか浄土真宗の話をお聞きするところはないかと思っても、寺の門は閉ざされ、機会に恵まれませんでした。転勤で、地方にいっても真宗の声は聞けず、もう真宗は消滅してしまったのだろうかと愕然としておりました。

 社宅の友人の誘いで新興宗教に入信しましたが、信じきれないのです。心の中では「南無阿弥陀仏」しかないと叫ぶ声が聞こえてきます。

 やはりお念仏しかないと思いつつ、子供も成長し、趣味に没頭するのですが、いつも虚しさがあり、生きる意味がハッキリしません。苦悩の波は押し寄せ、死の不安が襲ってきます。何かきっかけを探しておりました。

 そこへ「親鸞聖人の教えを学ぶ」と書かれた親鸞会の講座のチラシが入り、懐かしい親鸞聖人のお名前とともに、仏法を聞きたい心が私の中に蘇ったのです。

「阿弥陀仏の本願」という言葉に、心の奥から温かいものが込み上げてきます。
 正信偈最初の二行が「親鸞は阿弥陀仏に救われたぞ、助けられたぞ」という大慶喜のお言葉であった。苦悩の根元が無明の闇であった。

 驚きました。天と地がひっくり返るとはこのことです。
 心から浄土真宗に帰ってこれたことを喜ばずにはおれませんでした。

 その後、親鸞会の会員となりました。
 親鸞会では、子供のような若い学生と一緒に親鸞聖人の教えを学ぶことを一番の楽しみにしています。人生の目的に向かって進まれる姿は尊く、輝くほどで、一心に努力されることに感動いたします。
 学生さんから頂くはがきが何よりも励みになります。 親鸞会の講師の方々のお話も素晴らしいです。

 家族にも親鸞聖人の教えを伝えたいと思っています。

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木像が一番丈夫やろ、だから木像がええんや

上島亮平さん(仮名)

 私は、親鸞会で仏法を聞き始めて、1年くらいの者です。

 最近、縁があってある本願寺派の末寺で、住職と話をすることがありました。

 ここの僧侶は、親鸞聖人のお言葉をよく知っていて、いろいろの言葉を調子よく話していました。

 私が、「仏教で自殺してはならない理由ってなんですか?」と尋ねました。
 すると急に僧侶同士が顔を見合わせ、困り始めました。
「仏教にそんな理由教えられていたかなあ?」
 相当の時間、ああでもないこうでもないと独言をいい、最後は「また調べてみるわ」というのです。

 そこで、私が、「ならば信心決定しないで死んだらどうなるのですか?」
と尋ねると、
「それは六道いうてな、迷いの世界をぐるぐると回るんや。」
というのです。

「では、『我らが今度の一大事の後生』と書かれているのはどういう意味ですか?」
と尋ねると、
「それは今度の一大事、いうことでこの世が一大事いうことや。」
と、わかったような分からないことを言います。

 仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決に終わると、いつも聞いています。その後生の一大事を説かなくて、どうして親鸞聖人のみ教えと言えるのでしょうか?

 そして
「親鸞会いうんがあってな、蓮如上人が、
「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と書いてあるから
本尊は名号でないとあかんいうんや。
けどな、木像が一番丈夫やろ、だから木像がええんや。」

 私は空いた口が塞がりませんでした。親鸞聖人が泣いておられる姿が瞼に映ります。

 宗制が改正され、たてまえは「本尊は南無阿弥陀仏」と認めましたが、末寺の実態は、このような状況なのだと知らされました。

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