2009年03月10日
親鸞聖人の教えは「気付く」程度のことなのか
本願寺の現状に「親鸞聖人の教えは「気付く」程度のことなのか」を掲載しました。
親鸞聖人の教えは、「気付く」などという軽い表現で片付けられるものなのでしょうか。
親鸞聖人、蓮如上人から聞かせて頂きましょう。
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2009年03月10日
本願寺の現状に「親鸞聖人の教えは「気付く」程度のことなのか」を掲載しました。
親鸞聖人の教えは、「気付く」などという軽い表現で片付けられるものなのでしょうか。
親鸞聖人、蓮如上人から聞かせて頂きましょう。
2009年02月04日
「「仏教の目的」を知らずに「仏教」を語る人が多い」を掲載しました。
比叡山の千日回峰行を、二度も行った酒井雄哉氏が、「何もすることがなかったから」始めたのが千日回峰行、と語られています。
そもそも、「千日回峰行」とはどんなものなのでしょうか。
また、こんな荒行が、なぜ天台宗で説かれ、勧められているのでしょうか。
仏教の目的を、よくよく確認しましょう。
2009年01月29日
「本願寺の現状」に「日常の平易な言葉で分かりやすく伝える「親鸞会」」を追加しました。
平成20年11月28日「中外寄稿」『真宗大谷派に質問する』を通して「親鸞学徒の本道」について考えます。
「親鸞学徒の本道」とは、「親鸞聖人をお言葉を示し、相手に分かるように丁寧にお話をする」。これ以外にありません。
2009年01月19日
「本願寺の現状」に「本願寺派門主の法話に見られる「変化」」を追加しました。
平成20年11月22、23日、西本願寺で本山恒例の「秋の法要」が営まれ、中外日報に「ご門主」の「ご親教(法話)が、掲載されました。
その中で、「「亡くなられた方」は、みな「往生された方」である。」と読めるところがありますが、「誰でも彼でも、死んだらお助け」という間違いを、浄土真宗親鸞会は、「易往而無人」などの仏説を挙げて指摘してきました。
2008年12月09日
「本願寺の現状」に「本願寺派組織の問題点より大事なこと」を追加しました。
まず本願寺の門主を初め、学者、住職、布教使の皆さんが、「平生業成」「信心正因」の正しい親鸞聖人の教義を知り、ご門徒の皆さんに正しく伝えることこそ急務です。
浄土真宗の未来とは、建物や組織ではなく、親鸞聖人のみ教えを正しく知り、お伝えする親鸞学徒にかかっているのです。
2008年12月01日
「本願寺の現状」に、「本願寺の言う念仏の生活とは?」を追加しました。
浄土真宗は、「信心」一つで救われる「唯信独達の法門」です。
「念仏」は報恩ですから、浄土真宗の教えを漢字8字で「信心正因称名報恩」といわれるのです。
間違ってはなりません。
2008年11月29日
「本願寺の現状」に、「門信徒の後生こそ心配」を追加しました。
法施のないところに財施はありません。
財施とは、仏法を聞かせて頂くお礼だからです。
ともに仏法を伝えに歩くことこそ、親鸞聖人、蓮如上人の御意に叶うことであり、両聖人の歩まれた道ではなかったでしょうか。
それがまた、親鸞会が結成されてより、常に実践し続けてきたことなのです。
2008年11月26日
本願寺の現状として「浄土真宗は今盛んなりか?」を掲載しました。
歎異抄第2章の説法でも、『往生極楽の道』の真の意味とは何なのか、一番知りたいことが明示されていなかったようです。
2008年11月18日
本願寺の現状に「参詣者が増えない理由」を掲載しました。
親鸞聖人の教えと、現実に生きる私たちの苦しみ悩みがどう関係があるのか、なぜ仏教を聞かねばならないのかということを、分かりやすく伝えることができなければ、寺に人が来ることはないでしょう。