「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで
〜本願寺僧侶の批難に答える〜
追記21:門主さんの信仰
「雑行を棄てて本願に帰す」
教義の上からは、自力の修行を棄てて本願他力に帰依されたと言うことになりますが、今私が想像いたしますのは、源空聖人に遇われて、ものの考え方、人生の基盤が逆転されるような体験をされたのではないだろうかということです。
信心とは阿弥陀さまの智慧と慈悲のおこころである南無阿弥陀仏が私に回向されていること、私の中で働いていてくださっていることです。そこに往生成仏が定まります。
(本願寺新報 平成18年2月1日号 本願寺門主法話より)
門主さん、ご自分の想像でものを言わずに、親鸞聖人のお言葉の正しい意味を明らかにしてください。
信心は、「はじめから回向されている」のではなく、「獲得する」ものですよ。
「信心獲得せよ」と、だから蓮如上人は勧められているのです。
このままではご門徒の皆さんが本当にかわいそうです。
雑行の本当の意味を知りたかったら、どうぞ親鸞会の正本堂へいらしてください。
お待ちしています。
追記1.本願寺と親鸞会
追記2.作家・吉川英治さんの悲嘆(折々の記)
追記3.「反響集」を読んで
追記4.横超の直道
追記5.信心数え歌
追記6.真実
追記7.絶対教判
追記8.マインドコントロール論は不毛
追記9.冷血
追記10.広い視野?
追記11.学生時代の仏縁
追記12.勝興寺の惨状
追記13.仏恩と師恩
追記14.因果の道理
追記15.「マインドコントロールについて」を読んで
追記16.無責任
追記17.あえてよかった
追記18.沈黙
追記19.錯誤相関?
追記20.一向専念
追記21.この程度
追記22.思い込み
追記23.意味のある苦しみ
追記24.二河白道
追記25.生きる目的がハッキリすれば
追記26.急いで急がず、急がずに急ぐ
追記27.ご恩を有難く感謝する者
追記28.光に向かって