疑問点1「念仏か、信心か」
平成四年三月六日。
親鸞会会員Aと、真宗大谷派富山教務所員S氏との問答。
A「私は、親鸞会の会員でAといいます。早速ですが、最近読んだ、哲学者、梅原猛氏の『誤解された歎異抄』という本の中の疑問点について、お尋ねします。梅原氏は、
『人はその生前において一回ないし、十回の念仏を唱えれば、すべての人は、極楽浄土に往生できるということになる』
と説いています。また、梅原氏は、
『教行信証には、まったく地獄のことが説かれていないのである。歎異抄に『地獄は一定すみかぞかし』といっているが、これは現世のことである』
とも言っています。これらの文章に疑問を感じます。
まず、念仏を一回ないし十回、称えれば、極楽に往生できるということですが、これは正しいのでしょうか」
こう聞きながらも、これを肯定すれば、まさに称名正因の異安心(念仏さえとなえていれば助かるという間違った考え)、まさか、そんな愚かな答えはあるまいと思ったが、聞いてびっくり。
S「教えが、そういう教えになっていますよ」
それが親鸞聖人の教えだというのだ。
A「一回ないし十回とは、一回の念仏でもよいということですか」
S「そうです。法然上人の時から、そのように教えておられたようです」
法然上人にさかのぼってしまった。親鸞聖人の教えを伝える真宗大谷派の筈なのに。
A「梅原氏の『誤解された歎異抄』というのは親鸞聖人について書かれた本です。法然上人のことを聞いているのではないのです」
S「では、親鸞会で話を聞いている、あなたはどう思われるのですか」
A「私は、自分が体験的に念仏を十回称えても、極楽に往生できるとは到底思えません。間違っていると思います。
梅原さんのような著名な人がなぜこんな事を書いているのか、理解できない所です。梅原氏は、歎異抄を根拠に言っているのですか」
S「いや、観無量寿経、阿弥陀経、大無量寿経などの仏典が根拠と思います」
A「経典のどこにそのような事があるのですか。親鸞会のご法話では、常に根拠が示されますが。」
S「そう言われても勉強不足で、僕にはお答えできませんが。しかし、仏典によらねばそんな事は出て来ないでしょう」