
親鸞会と本願寺の相違点
浄土真宗の正しい御本尊は?
×木像でも絵像でもよい
○御名号でなければならぬ
阿弥陀仏の救いについて
×ハッキリするものではない
○救われたら、 ハッキリする
助かるのはいつか
×死なねば助からぬ
○生きている時に助かる
救われたらどうなるのか
×この世で救われたということはありえない
○無碍の一道、絶対の幸福になれる
どうしたら助かるのか
×念仏さえ称えておればいい
○真実の信心一つで救われる
喜んでいること
×死んだらお助けを喜べ
○現在、助かったことを喜ぶ身になれ
念仏について
×念仏はみな同じだ
○自力の念仏では助からぬ。
他力の念仏を称える身になれ
使命としていること
×葬式・法事・読経・遺骨の後始末
○本当の親鸞聖人の教えを伝えること
マンガで分かる
親鸞会と本願寺の違い
作者へメール

親鸞会との相違点
浄土真宗 親鸞会 設立の目的
本当の親鸞聖人の教えを聞き求め、一人でも多くの人にお伝えする。これ以外に親鸞会の目的はありません。
人は何のために生まれ、何のために生きているのか、なぜ苦しくとも自殺してはならぬのか。
すべての人のいちばん知りたい人生の目的を明らかに教えられた方が、親鸞聖人です。聖人の教えを聞けば、生きる目的がハッキリ知らされます。
親鸞聖人の教えにより、人生の目的を知り、達成し、「人間に生まれてよかった」という生命の大歓喜を獲得していただきたいと思います。
親鸞会は、寺ではないのですか?
今日、寺と聞くと、何が思い浮かぶでしょうか。
葬式や法事など、「死んでから用事のあるところ」。
おみくじを売ったり、祈祷しているところ。
伽藍や大仏で拝観料を集める観光地。
学校や幼稚園、駐車場を経営するところ。
果ては、本堂を新年会やクリスマスパーティーに貸し出しているのが実態です。
本来の寺は、生きている人に、生きた仏法を伝え、生きている間に真の幸福になる道を説き明かす大切な聞法の場であったはずです。
しかし、本当の仏教が全く伝えられていないのが、悲しい現状であります。
親鸞会館は、聞法一つを目的に建立されました。そこではいつも、親鸞聖人の教えを聞かせていただくことができます。
どう違うのでしょうか?
某団体は、名前は浄土真宗であり、親鸞聖人を祖師と仰ぎ、蓮如上人を中興上人とたたえて、『正信偈』や『御文章』を拝読している点は、浄土真宗親鸞会と同じですが、そのやっていることや教えていることには大変な違いがあります。
以下、大きな相違点を挙げましょう。
親鸞会との相違点
親鸞会 いる |
まちがった考え いない |
親鸞会 ある |
まちがった考え ない |
親鸞会 御名号でなければならぬ |
まちがった考え |
親鸞会 救われたら、 ハッキリする |
まちがった考え ハッキリするものではない |
親鸞会 生きている時に助かる |
まちがった考え |
親鸞会 無碍の一道、絶対の幸福になれる |
まちがった考え |
親鸞会 真実の信心一つで救われる |
まちがった考え |
親鸞会 現在、助かったことを喜ぶ身になれ |
まちがった考え |
親鸞会 自力の念仏では助からぬ。 他力の念仏を称える身になれ |
まちがった考え |
親鸞会 本当の親鸞聖人の教えを伝えること |
まちがった考え 葬式・法事・読経・遺骨の後始末 |
宿善論争について はじめに
これが論争点 
情報公開にあたって
浄土真宗とか、親鸞聖人の教えと聞くと、
「ああ、京都の本願寺さんでしょ」と思われる方が多いかもしれません。
しかし事実は、浄土真宗という看板を掲げていても、親鸞聖人の教えとは、まったくちがうもの横行しています。
・「念仏さえ称えていたら、死んだら極楽」
・「すでに救われていたことに気づいたのが信心」
・「阿弥陀さまは、お慈悲な仏さまだから、だれでも死んだらみな仏」
・「この世仲良く、感謝の日暮しをしていれば、死んだらお浄土」
これらは、よく聞かされる言葉ですが、みな、間違っています。
その誤りを何とか正していただきたいと願って、お伝えし続けてきたのが、浄土真宗親鸞会(富山県射水市)です。
今、本当の親鸞聖人の教えを知りたい、聞きたいという方々が、どんどん親鸞会に集ってきています。
世界の光と仰がれる親鸞聖人の教えが、親鸞会で明らかにされているからでしょう。
それは、すべての人々に聞いていただきたい、きわめて大事な問題であります。
一言で言えば、親鸞聖人の教えには、人生の目的が、明らかにされているのです。
親鸞会は過去、多くの論争をしてきましたが、中でも最も大きな論争の一つが、「宿善論争」といわれるものです。
人生の目的を果たすために、きわめて大切なもの。宿善(しゅくぜん)についての論争です。
論点は、「親鸞聖人の教えに、善のすすめは、あるか、ないか」であります。
この重大な問題について、親鸞会からの質問に、23年経過した今も、返答していないのです。
この事実を皆さんに、お知らせするために、このサイトを開設することにいたしました。