親鸞会 会員の声

「千の風になって」だけで追悼は終わった

仏縁深い母に育てられた私でしたが、生きる為に夫と二人、休む間なく働いてまいりました。一人息子には嫁を迎え、同居して孫も一人前になり一息ついた頃、ふと一枚のチラシが目にとまり親鸞会の講演会に足を運んだのです。

それ以来熱心に親鸞会で仏法を聞くようになりました。

長年働き、定年を迎えた夫は、私を旅行に誘うようになりましたが、その頃の私は親鸞会の会員となり、仏法を聞くことが一番の楽しみでした。

そんな夫が、突然倒れ帰らぬ人となったのです。悲しみに沈む間もなく、親鸞会での葬儀をお願いし、家族にも初めて仏法を聞かせる尊いご縁となりました。葬儀は滞りなく終わりました。

ところが喪主となった息子は親戚中から、本願寺でないじゃないか、何をやっとるのかと非難を受けたのです。

特に嫁の実家は寺との縁が強く、
「お母さんは新興宗教にだまされている」
とけしかけたのです。

49日法要を勝手に本願寺の末寺に頼み、そこで、親鸞会について、あらぬ誹謗中傷を聞いた息子夫婦の態度は一変しました。
帰宅するなり

「お母さん、何も言わず親鸞会をやめて下さい。オウムのような危険な新興宗教だそうです。きっとお金もまきあげられますから今日かぎり脱退して下さい。」
とすごい剣幕でいうのです。

「とんでもない、何の教えも説かぬ寺と違って、親鸞会は本当の親鸞聖人の教えを教えているのよ。うそだと思うならお前も一度聞いてみて。」
とどれだけ話をしても分かってくれません。

息子夫婦は親族会議まで開いて、皆の前で私に親鸞会の脱会を強要しました。

私はあまりのショックで体調をくずし、食事も喉を通らず寝込んでしまいました。
それからは親鸞会の講演会にも出られず、電話も郵便物も取り次がれず毎日が苦しい日々でした。

夫が元気なうちに、なぜもっと家族に伝えておかなかったのか、夫にも聞かせてやりたかった。

ですが夫は、いつまでも聞けるつもりで、もたもたしているこの私に、身をもって諸行無常の仏説を教えてくれたのです。

そう思うと、体が自然に親鸞会の講演会場に行っておりました。久しぶりにお会いした親鸞会の講師の方や会員の皆さんから暖かな慰めと励ましを頂き、嬉しくて涙が出ました。

そのあと本願寺別院にて夫の追悼法要がとり行われましたが、そこでの輪番の法話にはあきれはてました。今はやりの「千の風になって」という歌の録音テープが流されただけで終わったのです。

別院の輪番でありながら、説法の一言もなく、歌のテープで終わり。
そんなものが、親鸞会を非難しているのです。一体、どうなっているのでしょう。

怒りと悲しみしかありませんでした。その後、息子に頼まれて家にやってきた住職が、蓮如上人の御文章のお言葉を根拠として私に言うのです。

「ここにも「心を一つにして」と仰っているでしょう?家族はどんなことでも心を一つにしなければ仲良く暮らせませんからね。」

私は親鸞会・会員として自信をもって答えました。

「蓮如上人がそう仰っているのは、「心を一つにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて」(御文章5帖目1通)とあるように、阿弥陀仏に心を一つにして、ということでしょう?全く関係ないじゃないですか。」

すると次からは住職は来なくなってしまいました。代わりにやってきた若さんに今度は息子が尋ねておりました。

「母が二言目には後生の一大事といいますが、どんな意味ですか?」

若さんはしどろもどろで困っているので、私が
「一息きれたら後生でしょう。死んだ後に一大事が引き起こるのですよ。」
と話しました。息子は何も言いませんでした。

後生の一大事が分からなくては、仏法が分かるはずがありません。

いつか息子夫婦と共に、親鸞会館で本当の親鸞聖人の教えを聞かせて頂くことが、私の心からの願いです。

「だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて」と蓮如上人がおっしゃるとおりです。寺の住職も若さんも、まったく仏法を知らない人なのだということが、よく分かりました。

 

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