なぜ親鸞会をやめたのかを読んで


1.なぜ親鸞聖人の言葉がないの?
2.親鸞聖人の言葉 その1
3.親鸞聖人の言葉 その2
4.親鸞聖人の言葉 その3
5.信心決定は「ユートピア」?
6.因果の道理が分かっていない
7.ごまかしの人生
8.本願寺で信心獲得を求める人は
9.親鸞聖人の願い
10.蓮如上人の布教精神
11.マインドコントロール?
12.命の尊厳教える親鸞会
13.哲学者、池田さん急逝を惜しむ
14.後生の一大事について
15.善知識ってどんな人?
16.無条件服従について
17.財施)
18.善知識と悪知識
19.これが獲信か
20.こんな人工信心もある
21.サイデンステッカー教授を悼む
22.ほんとうに知りたいこと
23.都合の悪いことは言わぬ本願寺
24.本願寺「宗制」を改正
25.歎異抄、思いっきり現代誤訳?
26.本願寺派御名号本尊が明確に
27.投稿「その信心は間違いです」
28. 親鸞会に出会って崩れた自力信心
29. マザー・テレサと神の不在
30. 何が助かったのやら……
31. 東京ボーズコレクション
32. セミと死
33. ヴィトゲンシュタインの日記
34. アインシュタインの言葉
35. 幸福感は脳で決まる?
36. 芥川賞作家・川上さんに答える
37. 芥川賞作家・川上さんの悩み
38. ドラマ「白夜行」と歎異抄
39. ジム・ロジャース氏と親鸞会
40. 歎異抄の魅力の源泉
41. 本願寺門主も昔はよかったと歎く
42. ギラリと光るダイヤのような日
43. 西本願寺門主大谷光真氏の信仰
44. サリンジャーも仏教が大好き
45. 獲信した人すべてにあてはまる
46. 脳科学から見た仏説
47. シェークスピアと親鸞会
48. 先端科学も仏教の一部
49. 歎異抄の魅力を語る声
50. 「余命一ヶ月の花嫁」より
51. 「呼吸が止まる」極限の不安
52. 茂木健一郎さんも知りたいこと
53. 体験至上主義者を破るー三木清
54. アーサー・C・クラークと仏教
55. 奥菜 恵さんに、お奨めしたい本
56. プラトン「国家」と親鸞会
57. ジョブズと親鸞会
58. プラトン「ゴルギアス」
59. 哲学に専心・プラトンと親鸞会
60. プラトン「国家」と親鸞会2
61. プラトン「国家」と親鸞会3
62. 死−プラトン「国家」と親鸞会4
63. 心 プラトン「パイドン」
64. プラトン「クリトン」と親鸞会
65. アリストテレス真の智者と親鸞会
66. デカルトと『歎異抄』
67. 難問は分割−デカルトと親鸞会
68. 一度はすべて根こそぎ…デカルト
69. キルケゴールと親鸞会
70. 「たとえ全世界を征服しても」
71. 人間とは精神(心)キルケゴール
72.「不安」−キルケゴール
73. 絶望が最も好む場所キルケゴール
74.『実存への3段階』1
75.『実存への3段階』2
76.『実存への3段階』3
77. ソクラテスの弁明
78. 親鸞会を非難するものたちの大罪
79. 造られた〝獲信体験〟
80. 善の勧めを、なぜ絶讃されたか
81. 真仮を知らぬもの
82. 本物と造花の見分け方
83. アーサークラーク「人間の本質」
84. 葬式だけの寺は不要
85. 生きる意味はどこで決まるか
86. スカイ・クロラ−唯一の問題
87. ウッディアレン
88. 終わりのない日常が人生ではない
89. 偽なる者は甚だもって多し
90. 30年間聞いたが助からなかった
91. もし、そんなところがあれば
92. アレクサンダーもできなかった
93. 趣味や生きがいラッセル幸福論
94. 疑似体験のメカニズム
95. 蓮如上人のお嘆き
96. 獲信の近道?
97. 信仰の奇形児
98. オアシスに潜む 闇の声
99. 三業惑乱に学ぶ
100.善を勧めぬ浄土真宗の凋落
101.「善のすすめ」は弥陀のご方便
102.「心の向き」がポイント
103.どうすれば弥陀に救われるか
104.畏れざれの呼び声



なぜ親鸞会をやめたのかを読んでレッスン


レッスン1.人間の論理について
レッスン2.マインドコントロール
レッスン3.思考停止
レッスン4.トルストイ
レッスン5.まだ分からないのか
レッスン6.夢さめる
レッスン7.五逆罪
レッスン8.謗法罪
レッスン9.聴聞姿勢
レッスン10.感謝の心
レッスン11.不幸な人
レッスン12.自明なこと
レッスン13.幸福な人
レッスン14.真実は一つ
レッスン15.反証可能な真理?
レッスン16.三世因果
レッスン17.破滅の道
レッスン18.ナワをうらむ泥棒
レッスン19.無限の向上
レッスン20.仏法の精粋
レッスン21.日々の精進
レッスン22.疑謗と仏縁
レッスン23.信ずる衆生と謗る衆生




親鸞会関連リンク


マインドコントロールと親鸞会の真実

親鸞会とマインドコントロール「親鸞会はマインドコントロールをしているのではないか」という批判を論破するサイト。
マインドコントロールとは何か、そして、親鸞聖人の教えはいかなるものか、他力の信心とは何なのか、詳しく解説しています。
オススメです!



作者へメール


Top>>親鸞会批判への回答>>4月11日 管理人宛のメール全文
親鸞会 空白

4月11日 管理人宛のメール全文


「なぜ私は親鸞会をやめたのか」管理人様

難詰するような口調のメールに、驚きました。
もうちょっと、落ち着いていただけませんか?

 >私が聞いているのは、あなたが「反響集を読んで」に書かれた、以下の部分についてのことです。
 >「正すべき点は、今後正されていくことと思います。
 >誰であろうが、違法行為や、他人に迷惑をかけるようなことをしてはならないのは、
 >当然のことですから。」
 >この部分についての質問ですので、これを書かれたあなたにお尋ねするしかないのです。
 >これについて、以下のように質問しているのです。
 >
 >1、あなたが「今後正されてゆくことと思います」と書かれた「親鸞会の正すべき点」
 >  とは、具体的にどのようなことを指しておられるのでしょうか?
 >
 >2、また、私が挙げた以下の4項目は、「親鸞会で今後、正されるべき点」だと
 >  思われますか?思われませんか?
 >
 >あなたが書かれた文章について、疑問に思ったから質問しているのです。
 >ご自分で書かれた文章に責任をお持ちなら、お答えください。
 >いつまでもこちらの質問に答えて下さらなければ、何も進みません。
 >一方的に質問ばかりをされるのは、いかにも親鸞会会員らしいですね。
 >
 >昨年から、何度、質問しても答えないのはあなた方なのですから、
 >まず、こちらの質問にお答え下さい。
 >そうしなければ、何も進展しません。

「正すべき点は正されるでしょう」というごく一般的なことを書いただけで、なぜこうまで「俺の質問に答えよ」としつこく解答を催促されるのか、貴方の独りよがりで強引な論法にはあきれてしまいます。

相変わらず、ですね。

どこまで事実か分からないのに、「どこを正すべきか」と言っても無意味だし、「ここを正すべきだ」と言えないのも当然でしょう。

しかし、こちらの質問は、貴方が「親鸞会をやめた理由」として述べられたことについてのものですよ。

そもそも貴方のサイトの文章からは、仏法の理解の幼稚さ、親鸞会に対する誤解、曲解、悪意が、強く感じられます。それどころか、仏説まで否定し、お釈迦様を馬鹿にし、大変な謗法罪を重ねておられますので、その点を明らかにし、正していただきたいと願って、お尋ねしているのです。

とはいえ、これでは議論も進まないでしょうから、「私の意見を聞きたい」との貴方の熱心なご要望にお答えし、個人的な感想として、以下、述べてみましょう。 

 

>(1)、勧誘の際に、「浄土真宗親鸞会」という自分たちの立場を名乗らないこと。
>   また、声をかける最初の段階で「仏教を学ぶサークル」「親鸞聖人の教えを
>   学ぶサークル」と言わないこと。

大学生のサークルは、学生さんたちが自由にやったらいいでしょう、というのが私の意見です。

また、交流のある学生に尋ねてみると、全員が「仏教を学ぶサークル」「親鸞聖人の著書・教行信証に学ぶ」などと、最初から聞いたと言っています。

これ一つとっても、どうも貴方の述べていることは、事実と違います。

>(2)、「引き離し対策」「親対策」「兼部カット」といった行為をマニュアルまで作って、
>   組織的に行い、新入生の耳に、親鸞会への批判意見が入らないように巧みに
>   情報操作していること。

このマニュアルなるもの、いつ、どこで、だれが作ったのか知りませんが、少なくとも、現役の学生さんの何人かに聞いたところ、これも全員、「見たことも聞いたこともない」とのことでした。

記述されている内容も、事実とかなり違っています。

『顕正新聞』には、大学生の子供から仏法を聞いた両親の喜びの声が、しばしば掲載されていますが、「親には言うな」というような指導が本当になされているのなら、こんな事実はどうなるのでしょう。

また、祖父母や親戚、友人と一緒に聞法、という話もよく聞きます。

「ご恩のある人、大切な人に、仏法を伝えよう」という気持ちの表れではないでしょうか。
そして、事実、一人の大学生から親へ、祖父母へ、お世話になった人たちへと、どんどん法の輪がひろがっている事例が、いくつも報じられています。(参照:親鸞会 親子ネット

本願寺が、「念仏の声を世界へ 子や孫へ」というスローガンをつくっても掛け声倒れで、一向に伝わらないのに比べて、親鸞会は次第に仏法の輪を大きくしているではありませんか。

これらの厳然たる事実を、貴方はご存知ですか?

「マニュアルどうりのことが組織的体系的に行われている」、という貴方の主張と、まったく反しているではありませんか。
親鸞会について語るのなら、もっと事実を冷静に調べてからにしてはどうでしょうか。第三者を装って、悪意のこもった邪推、憶測でサイトを立ち上げた、本願寺の僧侶と、これでは同じレベルですよ。

「引き離し」「兼部カット」なども、仮にこれが事実としても「巧みな情報操作」などという大げさなものでしょうか。熱心なサークルなら、どこでも「兼部するな」と言うし、それがいやなら、やめればいいだけの話です。「引き離し」など、みんなケータイのメール交換をして自由に連絡を取り合っている時代に、できるわけがありません。

こんなこと、いつの時代の話ですか。
10年前のカレンダーを見て、「日付がおかしいぞ」と叫ばれても、ちょっとね。

>(3)、新入生に対して、先輩が「信心決定している」と偽ること。また、そのような
>誤解を与えかねないような表現を平気で使い、あたかも信心決定が簡単に
>出来るかのような誤解を与えていること。

偽っているかどうかは知りませんが、誤解を与えるのは、新入生が仏法の重さが分からない段階では、ある程度やむを得ないのではないでしょうか。

しかし、「信心決定が簡単にできる」などとは、先輩の誰一人、口が腐っても言うはずがありません。聞いたこともありません。

新入生も、人生の目的という問題の重さが本当に分かってきたら、「簡単ではないな」ということも、おのずと知らされると思います。 

>(4)、「聞けば誰でも論理的に納得できる話だ」と言い、あたかも仏説の全てを、
>  「人間の智恵で、全て理解できる」と誤解を与えかねない表現を使っていること。

そんな誤解をするのは、貴方くらいではないですか。

「絶対の世界が、相対の人間の智恵で完全に理解できるはずがない」というのは、大学生程度の知性があれば、普通は常識です。
また、そのように何度も言われたはずです。

親鸞聖人も、弥陀の誓願を「難思の弘誓」「超世の悲願」「弥陀の誓願不思議」と言われ、救われた絶対の境地を「不可称不可説不可思議の信楽」と喜んでおられるとおりです。

「仏説のすべてを、人間の智恵で理解できる」などと、誰も思いもしませんよ。

失礼ながら貴方は、自称10年聞いた元幹部とのことですが、仏法の目的である「信心決定」の意味も誤解していましたし、「反証不能の因果の道理が、なぜ真理といえるか」などと科学的な真理と勘違いしている意味不明な質問を発したり、「仏説である因果の道理は、錯誤相関だ」などと、自分が仏さま以上と思わなければとても言えないようなことを口走ったり、常人には、やや理解しがたい方のように思われます。

どうぞ、もっと落ち着いて、冷静に考えてみてください。

>相互リンクは、あなた方が貼られるはるか以前から、貼っていますよ。
> 「おかしなことではありませんか」とは、こちらのセリフです(笑)

貴方のような、「目立たないところで、こっそりリンク」ではなく、「トップページでの相互リンク」ですよ。
堂々と行きましょう。何を恐れているのですか。

>貴方は識者の論文を引用した上で、マインドコントロールは「きわめて日常的で、人間社会の
>どこにでもある内容ばかり」であり、「なにかしら恐怖感を与えるこの言葉を執拗に繰り返すことで、
>親鸞会を貶めようとしている」と主張しておられました。
>
>貴方は、
>
>私の宗教社会学関連で言えば、「カルト」の定義、教団への入信をめぐる「マインド・コントロール
>論争」はほとんど不毛であり、イデオロギー対立の次元を越えない。つまり、布教・教化における
>本人の自己選択と組織による影響力の度合いは、基本的に程度問題であり、個人ごと、教団ごと
>ケースバイケースである。100%の自由意志も100%の強制もない。
>
>(平成17年8月23日 中外日報  櫻井義秀 「スペイン・国際カルト研究学会大会報告」 )
>
> との北海道大学大学院教授、櫻井義秀氏の文章の引用の後、
>
>>入信をめぐる「マインドコントロール論争」は、ほとんど不毛と、専門家も断じています。
>
>と主張しておられます。確かに、上記、主張しています。

それは、以下の貴方の引用している文章にも明らかです。

櫻井氏は、

>筆者は「マインド・コントロール論」による入信の
>説明は、宗教社会学の議論からは認めることができないと年来主張してきた
>
>「マインド・コントロール」という社会的告発に相当する宗教集団がひきおこした社会問題が存在していることは認めてきた
>
>そのような教団を批判する場合の方法に関して、「カルト」「マインド・コントロール」論に代わる批判の論点を持つべきであるという議論を展開してきたつもりであった。

と述べているのですよ。

つまり、貴方が展開しているような、「マインドコントロール論による入信の説明」を「認めることができない」と批判し、「それにかわる論点をもて」と述べているではありませんか。

貴方の主張「親鸞会はマインドコントロールしている」という論拠にならないことは明白でしょう。

統一教会のような反社会性をもつ集団に対してでさえ、「マインドコントロール」などというのは、所詮、その程度のものなのですよ。

また貴方は、何か勘違いしているようですが、「霊感商法などの社会問題を引き起こしている統一教会の勧誘活動を是認しない」のは、誰であっても当然のことです。

しかし親鸞会のように、過去50年間、反社会的な問題がまったくなく、地域の皆さんとも良好な関係を保ち、学生たちにしても、「酒もタバコもやらず、ギャンブルや乱れた異性関係などもない、親鸞聖人の教えを学ぶ、まじめな集り」に対して、「マインドコントロール」などという批判自体が、そもそも不適切なのですよ。

「整理整頓」「お世話になっている人に感謝しよう」「時間を守ろう」「あいさつしよう」などなど、人間として当たり前のことが、親鸞会ではいつも勧められていることは、本当の元幹部さんならお分かりのはずです。

因果の道理に基づいて、善をすすめることが、マインドコントロールになるのですか?

いかにも、「因果の道理を無視して、善のすすめを排斥する本願寺」らしい非難ではありますね。
もちろん、「善のすすめ」だけでは親鸞聖人の教えにはなりません。

人生の目的・信心決定に向かって、親鸞聖人の教えの根基「三願転入」を説ききる親鸞会を、「マインドコントロールだ」などと、貴方は本当に思っているのですか?

最も大切な部分を隠蔽して、誤解を与える事柄だけを、針小棒大にことさら取り上げる論法は、まさに非難のための非難です。

いい加減にやめましょう。(参考:マインドコントロールと親鸞会の真実

 >宗教的教義には自然科学的知識や社会科学的論理で答えることが
 >できない内容が含まれています。神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等。
 >これらを宗教として教えられれば、信じるか信じないかの判断をすればよい。しかし、教団がこれらを
 >あたかも自然科学的法則や歴史的事実のように語り、信者が普遍的真理として受け入れてしまうと、
 >その後自らの力で教え込まれた知識体系に客観的に反駁することが容易にできなくなります。個人の
 >人生を大きく左右する宗教的知識・論理をカモフラージュして教えることは、内心の自由に不当な
 >影響力を行使する、許されない行為であるとされたのです。
 >
 >(新潟集会講演 2002/3/15「札幌『青春を返せ』訴訟にみるカルト問題の行方」)

上記は、反社会的な行為を繰返している統一教会に対してのものではありませんか。

そもそも親鸞会では、「仏」の説明で、仏法の真理は、「科学的真理でもなければ、数学的真理でもない」と、必ず説明されます。つまり、自然科学的な法則とはちがいますよ、と明らかにされていますが、貴方は聞かれたことがないのですか。10年も聞いたというのが本当なら、こんな初歩的なことも知らなかったことが驚きなのです。

仏説は、理性で納得できないことを、自然科学的法則や歴史的事実のように語るキリスト教とは、まったく違うのですよ。

この件については、私の質問(6)にお答えください。

また、本願寺では、「浄土は物語」という五木氏を称賛しながら、自分らは「死んだら極楽、お浄土へ」と矛盾したことを平気で吹聴している。
明らかに親鸞聖人の教えと反することを、「親鸞聖人の教え」と偽って教えているのですが、これこそ許せぬ大罪ではありませんか。(参考:親鸞会と寺院の構図

貴方は、そんな本願寺に加担し、親鸞聖人の教えを破壊していることになるのですが、そんな貴方の行為で、一体、誰が救われるというのですか。

「苦しんでいる人がいるのも事実」と何度も言いますが、それらの方々の苦しみは、貴方のこんな行為で、救われるとでも思っているのですか?

上記については、私の質問(7)(8)(9)にお答えください。

 >そして、「高森会長の説法を聴聞しに、富山県にある本部会館に毎月行く」ことや「財施と言って、
 >献金をすすめられること」など、最初は一切説明されなかった自分たちの活動の中身を、新入生に
 >対して、次々と小出しにしてゆき、いつのまにか、本人の意志で納得して選んだ形をとること。

仏法は、世界最高の偉人・大聖釈迦牟尼世尊が45年間かかって、説き明かされた教えですよ。
一度に話して、新入生に分かってもらえると思いますか。

常識で考えてみてください。

その仏法の尊さ、人生の目的の重さが知らされればこそ、上記のような気持ちになるのであって、いきなり案内すべきことではないでしょう。

また、「小出しにして、いつのまにか本人の意志で納得して選んだ形をとる」のがいけないとするなら、およそ、人間同士の交渉は、成り立たないでしょうね。

こんな悪意に基づく無意味な非難が、貴方の場合、多すぎるのですよ。

「未成年が、親の承諾も得ず、合宿うんぬん」にしても、いろいろな事情が、それぞれあるのではないですか。未成年といっても、もう大学生ですよ。いちいち親の承諾がないと、合宿にも参加できないのでしょうか?

結局、貴方の批判は「マインドコントロールとは何か」という本に書かれていることに、あなた自身が本当に体験したのかどうかも分からないようなことを、ただあてはめて、「だからマインドコントロールだ」と言っているにすぎません。

こんな論法なら、どんな団体でもマインドコントロールしていることにできるでしょう。

貴方の批判は、だから無意味なのです。

繰返します。
親鸞会は、過去50年間、一度として、違法行為に問われたことはありません。それどころか常に、因果の道理を根幹とする仏法を説き、善を勧めているのです。

その仏法の真髄である親鸞聖人の教えを伝えることが、「マインドコントロールだ」などと、貴方は、本当に思っているのですか。親鸞聖人の教えを学び、光に向かって人生を生きていくのなら、私は、素晴らしいことだと思います。

『顕正新聞』によく報じられるとおり、毎年、多くの学生が、立派に社会に飛び出していくではありませんか。そして素晴らしい活躍をされています。反社会的なことを吹き込まれているのなら、これらの事実は、どう説明するのでしょうか。

社会に出て、遠ざかる方も確かにあります。

あまりにも仕事が忙しいので、ついつい聞法が疎かになり、心ならずもしばらく、仏縁が遠ざかる。残念なことですが、心情は分かります。

しかしそれは、「マインドコントロールからさめた」というようなことではありません。心の中には、親鸞聖人のみ教えが、脈々と生きています。
いろいろな縁で、世の無常や自己の罪悪を知らされれば、「やはり仏法しかない」という尊い菩提心が、きっと再び起きてくることでしょう。

たとえ、学生時代だけの仏縁であってでも、いつか必ず、素晴らしい結果となるでしょう。

これは、あなた自身にも言えることです。

いま一時、迷いの暗示にかかっているようですが、きっと貴方にも、分かってもらえるときが来ると、私は確信しています。

 

さあ、貴方のご希望にこたえて、私の意見を述べてみました。

今度は、貴方の番です。
私の以下の質問に、誠意を持ってお答えください。

よろしくお願いします。

 

(1)「信心決定はユートピア」と述べておられましたので、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉で、「信心決定という体験は間違いなくある」と明らかにいたしました。お分かりになりましたか?

(2)「親鸞会の教義」と何度も繰返されますが、「親鸞会で教えられていること」と「親鸞聖人の教え」とは、どこか違いが有るのですか?

(3)「反証不能な因果の道理が、なぜ真理といえるか」というナンセンスな質問を繰返していますが、貴方は「反証可能なものでなければ、真理ではない」
と思っておられるのですか?

(4)科学的な真理のすべては「反証可能な仮説である」ということは、少しでも科学を勉強した人にとっては常識ですが、貴方はご存知ですか?

(5)「因果の道理は錯誤相関」と述べておられますが、因果の道理を根幹として説かれた仏説を、貴方は否定するのですか?
そもそも貴方は、お釈迦様をどういうお方だと思っているのですか?
自分は釈迦以上の人間だと思っておられるのですか?

(6)キリスト教社会では、生まれた子供に親が洗礼を受けさせ、教会に通わせ、神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等、これらを宗教とも言わずに教え込み、信じるか信じないかの判断力さえない子供に信じ込ませています。
彼らは、天地創造や原罪、処女降誕、キリストの昇天や復活など、およそ今日の科学と相容れない教義を、自然科学的法則や歴史的事実のように語り、クリスチャンは普遍的真理として受け入れています。だから、その後自らの力で、教え込まれた知識体系に客観的に反駁することができないのです。
 このことは、ユダヤ教でも、イスラム教でも同様です。
 死んだら天国、神の国へいけると狂信して、自爆テロまでするものが、後を絶ちません。
 「青春を返せ」どころか、「人生を返せ」ではありませんか。
 さて、これは内心の自由に不当な影響力を行使する、許されない行為ではないでしょうか。
 あなたの論法からすれば、これらの社会は、巨大なマインドコントロールをしていることになるのではないでしょうか。

(7) 作家の五木寛之氏は、「人生の目的」という本の「あとがきにかえて」の中で、「悟り、来世、浄土、輪廻」などは物語だと書いています。
この五木氏を、何と本願寺は賞讃しています。淨土を物語として「死んだらお助け」と説いているという点で、同じ程度と言うことでしょう。
しかし、いかに共感して信じようとも、それが単なる物語であれば、やはりそれは、現実の苦しみから逃避するごまかしにすぎません。
いかに、死後の華降るお浄土を夢見ていようと、神の国を思い描いていようと、死ぬときには、「しまった。浄土も天国も御伽噺だった。神も仏も存在しなかった。思い込んでいただけだった」と言うことになるでしょう。
マルクスは、こんな宗教を「大衆の阿片である」といい、レーニンは、「毒酒」と言ったのです。この世の救いを説かぬ本願寺の教えは、まさに、阿片であり、毒酒といわれてもしかたありません。
親鸞聖人の教えと偽って、似ても似つかぬでたらめを教え、大衆を騙している本願寺こそ、マインドコントロールの親玉ではないでしょうか?。

(8)後生の一大事は自明のこと、と言いながら、まったくそれを説かず、また解決の一本道である「一向専念無量寿仏」も教えない本願寺が、もはや救いがたいほど腐敗堕落の極に達していることは、貴方も認められているとおりです。これまで、本願寺の多くの御門徒が、だまされてきた被害者であることを、貴
方はどう思われますか。

また、その本願寺被害者を何とか救おうとして、日夜、親鸞聖人の教えをお伝えしている親鸞会の活動を、貴方は阻害しているのですが、その自分の行為が、本当に「人助け」だと思いますか。

(9)貴方のサイトを見た、何人もの退会した方から、「私は、あんな恩知らずになりたくない」とか「親鸞聖人の教えは、今でも信じています。あんな卑劣な人間と一緒にしないでください」というメールを数多くいただいています。貴方は、これをどう思いますか。
つまり、貴方は、いろいろな事情で退会された方々の気持ちまで踏みにじり、傷つけ、新たな被害者を生み出していることになるのですが、このことを人間としてどう思われますか?

(10)この世でハッキリ救われるという「平生業成」の教えが、親鸞聖人の教え以外にありましたか?
お得意のネットで調べてみて、結果はどうでしたか?
人生の目的が、親鸞聖人の教え以外に見つかりましたか?

 

尚、前回も含めて、私からのメールを貴方のサイトへ全文掲載してもらって構いません。部分削除することなく、全文掲載でお願いします。

以上、よろしくお願いします。

次 >> 4月19日のメール


  <<前 >>次