なぜ親鸞会をやめたのかを読んで


1.なぜ親鸞聖人の言葉がないの?
2.親鸞聖人の言葉 その1
3.親鸞聖人の言葉 その2
4.親鸞聖人の言葉 その3
5.信心決定は「ユートピア」?
6.因果の道理が分かっていない
7.ごまかしの人生
8.本願寺で信心獲得を求める人は
9.親鸞聖人の願い
10.蓮如上人の布教精神
11.マインドコントロール?
12.命の尊厳教える親鸞会
13.哲学者、池田さん急逝を惜しむ
14.後生の一大事について
15.善知識ってどんな人?
16.無条件服従について
17.財施)
18.善知識と悪知識
19.これが獲信か
20.こんな人工信心もある
21.サイデンステッカー教授を悼む
22.ほんとうに知りたいこと
23.都合の悪いことは言わぬ本願寺
24.本願寺「宗制」を改正
25.歎異抄、思いっきり現代誤訳?
26.本願寺派御名号本尊が明確に
27.投稿「その信心は間違いです」
28. 親鸞会に出会って崩れた自力信心
29. マザー・テレサと神の不在
30. 何が助かったのやら……
31. 東京ボーズコレクション
32. セミと死
33. ヴィトゲンシュタインの日記
34. アインシュタインの言葉
35. 幸福感は脳で決まる?
36. 芥川賞作家・川上さんに答える
37. 芥川賞作家・川上さんの悩み
38. ドラマ「白夜行」と歎異抄
39. ジム・ロジャース氏と親鸞会
40. 歎異抄の魅力の源泉
41. 本願寺門主も昔はよかったと歎く
42. ギラリと光るダイヤのような日
43. 西本願寺門主大谷光真氏の信仰
44. サリンジャーも仏教が大好き
45. 獲信した人すべてにあてはまる
46. 脳科学から見た仏説
47. シェークスピアと親鸞会
48. 先端科学も仏教の一部
49. 歎異抄の魅力を語る声
50. 「余命一ヶ月の花嫁」より
51. 「呼吸が止まる」極限の不安
52. 茂木健一郎さんも知りたいこと
53. 体験至上主義者を破るー三木清
54. アーサー・C・クラークと仏教
55. 奥菜 恵さんに、お奨めしたい本
56. プラトン「国家」と親鸞会
57. ジョブズと親鸞会
58. プラトン「ゴルギアス」
59. 哲学に専心・プラトンと親鸞会
60. プラトン「国家」と親鸞会2
61. プラトン「国家」と親鸞会3
62. 死−プラトン「国家」と親鸞会4
63. 心 プラトン「パイドン」
64. プラトン「クリトン」と親鸞会
65. アリストテレス真の智者と親鸞会
66. デカルトと『歎異抄』
67. 難問は分割−デカルトと親鸞会
68. 一度はすべて根こそぎ…デカルト
69. キルケゴールと親鸞会
70. 「たとえ全世界を征服しても」
71. 人間とは精神(心)キルケゴール
72.「不安」−キルケゴール
73. 絶望が最も好む場所キルケゴール
74.『実存への3段階』1
75.『実存への3段階』2
76.『実存への3段階』3
77. ソクラテスの弁明
78. 親鸞会を非難するものたちの大罪
79. 造られた〝獲信体験〟
80. 善の勧めを、なぜ絶讃されたか
81. 真仮を知らぬもの
82. 本物と造花の見分け方
83. アーサークラーク「人間の本質」
84. 葬式だけの寺は不要
85. 生きる意味はどこで決まるか
86. スカイ・クロラ−唯一の問題
87. ウッディアレン
88. 終わりのない日常が人生ではない
89. 偽なる者は甚だもって多し
90. 30年間聞いたが助からなかった
91. もし、そんなところがあれば
92. アレクサンダーもできなかった
93. 趣味や生きがいラッセル幸福論
94. 疑似体験のメカニズム
95. 蓮如上人のお嘆き
96. 獲信の近道?
97. 信仰の奇形児
98. オアシスに潜む 闇の声
99. 三業惑乱に学ぶ
100.善を勧めぬ浄土真宗の凋落
101.「善のすすめ」は弥陀のご方便
102.「心の向き」がポイント
103.どうすれば弥陀に救われるか
104.畏れざれの呼び声



なぜ親鸞会をやめたのかを読んでレッスン


レッスン1.人間の論理について
レッスン2.マインドコントロール
レッスン3.思考停止
レッスン4.トルストイ
レッスン5.まだ分からないのか
レッスン6.夢さめる
レッスン7.五逆罪
レッスン8.謗法罪
レッスン9.聴聞姿勢
レッスン10.感謝の心
レッスン11.不幸な人
レッスン12.自明なこと
レッスン13.幸福な人
レッスン14.真実は一つ
レッスン15.反証可能な真理?
レッスン16.三世因果
レッスン17.破滅の道
レッスン18.ナワをうらむ泥棒
レッスン19.無限の向上
レッスン20.仏法の精粋
レッスン21.日々の精進
レッスン22.疑謗と仏縁
レッスン23.信ずる衆生と謗る衆生




親鸞会関連リンク


マインドコントロールと親鸞会の真実

親鸞会とマインドコントロール「親鸞会はマインドコントロールをしているのではないか」という批判を論破するサイト。
マインドコントロールとは何か、そして、親鸞聖人の教えはいかなるものか、他力の信心とは何なのか、詳しく解説しています。
オススメです!



作者へメール


Top>>親鸞会批判への回答>>
親鸞会 空白

4月27日 管理人宛のメール全文


「なぜ私は親鸞会をやめたのか」管理人様

ようやくの返信、有難うございました。

残念なことに、こちらの質問には、何一つ、答えていただけませんでしたね。
お忙しいようですが、たとえば、(1)の質問など、なぜ答えられないのか、私には理解できません。

「ユートピア」というのは、「どこにもない場所」という意味です。ところが貴方は、「信心決定という体験はあると思う。否定はしない」とも言う。「あるもの」なら、ユートピアとは言わないのですよ。
言葉の理解が、かなり混乱しておられるようですから、お尋ねしているのです。

こちらのサイトは11月にはすでに公開しています。
10年幹部として聴聞されたというのですから、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉は、すぐに理解できるは
ずだと思いますが、どうでしょうか?

「忙しいから」ではなくて、本当は「答えられない」ということでしょうか。

(3)(4)(5)にしてもそうです。

貴方自身のことをお尋ねしているのですから、答える気さえあれば、すぐにでも答えられるものばかりです。事実、「時間がない」といいながら、いい訳を書く「時間は十分ある」ようですから。

まず、上記の簡単な質問からでも、お答えください。

>ただ、「一方的に他を非難しておいて、自らに向けられた質問には答えない」
>というつもりは全くありませんので、時間はかかりますが、しっかりお答えしたいと思っています。

貴方の誓約、しかと受け止めました。

最後までしっかり答えていただきたいと思います。

私も多忙きわまる中、こうして貴方の疑問に、一つ一つ答えてきたのです。
貴方とのやり取りを通して、多くの方々に、本当の親鸞聖人の教えを知っていただくご縁になれば、と願ってのことです。

「時間はかかる」と言われますが、決して時間がかかる質問ではありませんよ。私なら、全部で5分もあれば十分です。

お互い、無常の身。仏法のことは急げ、急げ、です。
これが、最後のやり取りになるかもしれません。

>あと、最近作った以下の新たなコンテンツに「事実と違う」といった反論や、
>あなたのご意見があれば、何でも教えて下さい。
>
>親鸞会は本当に変わるのか

あまりにも不誠実な内容ですね。

たとえば、「いるようです」「あるようです」「いるようです」「いたそうです」「いたようです」などと、5回も伝聞、憶測を並べた挙句に、突如、太い文字で、
「これらの事実からも分かるように」などと平気で書く神経。

これでは、とても信用できません。

いかがわしい文章だと言われても、仕方のないことではありませんか? 

>学友部の衰退は、親鸞会の言う通り、まぎれもなく、自因自果だと思います。

親鸞会が、いつそんなことを言ったのでしょう。
脈絡不明な文章が多すぎます。

そもそも、「反証不能の因果の道理が、なぜいつでもどこでも成り立つ真理なのか」などと頓珍漢な非難をしている貴方です。「まぎれもなく、自因自果だと思います」と、なぜ言い切れるのでしょう。

自分の都合のいいときだけ、因果の道理を持ち出してはいけませんよ。「いつでもどこでも成り立つ」からこそ、道理といわれるのですから。

また、「退会された人は犠牲者か」云々の件ですが、私は、本当の親鸞聖人の教えに触れた人なら、犠牲者など一人もいないと思っています。

なぜなら、親鸞聖人の教えは、「一実円満の真教」だからです。
この世にたった一つの、真実の教えだからです。

親鸞会で、ほんのわずかな期間でも、その親鸞聖人の真実の教えを学ぶことができた人は、大変仏縁の深い、幸福な方だと拝します。

これは、あなた自身にも言えることです。

つねに親鸞聖人のお言葉を通して説法される高森先生のお話を、一度でも聞かれた方は、百千萬劫の仏縁と尊ばずにおれません。

仏法とは、永遠の魂の問題ですからね。「自分は犠牲者だ」と思っておられる人が、もしあるとすれば(貴方もその一人でしょうが)、その大変な誤解を解くためにも、私のサイトをよくよく読んでいただきたいと願っています。

そしてこれからも仏縁を大切にされ、親鸞聖人の教えを聞き求めていただきたいと、切に念じています。

前回も、以下のように述べました。
釈尊や親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を通して、人生で最も大切な問題に目が開かれ、解決の道を知らされた方は、大変仏縁深く、尊い方々だと思います。
あまりにも大きな問題に、たとえ一時縁が遠のかれたとしても、その間、仏法に費やされた時間や費用は、決してムダではありません。
人生の目的に向かっての苦労は、必ず生かされるのですから。

本願寺のように、親鸞聖人の教えと偽って、僧侶自身の考えや世間話を聞かされたり、「お念仏を唱えていれば、死んだら極楽」などと聞かされていては、どれだけ時間とお金を費やしても、まったくのムダです。

だから、本願寺のご門徒こそ、何も知らない被害者なのです。 (親鸞会と寺院の構図

>伝統にあぐらをかき、親鸞聖人の教えを説かない本願寺のふがいなさは、
>私も十分感じていますよ。
>
>建物や儀式ばかりに力を入れて、僧侶に本職たる教えを尋ねても
>何も知らないような人が少なくないのも事実でしょう。
>なぜあなたは、「あなたと認識が大きく異なっている」と言われているのですか?
>それが、よく分かりません。よろしければ、その理由を教えて下さい。

貴方の認識は、その程度なのでしょう。
仏法の重さが分かって言っている、とはとても思えません。

本願寺の間違った布教によって、これまで、どれだけ多くの大衆がだまされ、苦しみに突き落とされてきたか、その認識が貴方にはあまりないようです。
あっても非常に浅いのです。

本願寺が、親鸞聖人の教えをねじ曲げて、どんなでたらめな説教をしてきたか、貴方は知っておられますか。

「後生の一大事は自明のことだ」と言いながら、実際にはまったく説かず、仏教の結論である「一向専念無量寿仏」も教えない。
そんなものが仏法ですか。

親鸞聖人が、「一向専念無量寿仏」一つを強調されたために、35歳のときに、流刑にまであわれたことを、貴方はご存知ですか。

「一向専念無量寿仏」一つを守るために、長子・善鸞を義絶までなされたことを、貴方は知っていますか。

あまりにも厳しいので、浄土真宗が「一向宗」とまで言われることを、貴方は聞いたことがないのですか。

この、すべての人が本当の幸福になれるたった一本の道「一向専念無量寿仏」を、法主自ら破壊してきたのが、現今の本願寺ではありませんか。

釈尊が80年の生涯かけて説かれた仏教を破壊し、親鸞聖人や蓮如上人の命がけのご苦労を水泡に帰させる、この本願寺の実態を、貴方はどう思われますか。

その罪の重さがどの程度のものだと、貴方は認識しているのですか。

釈尊は、『仏蔵経』の中に、
「一盲衆盲をひきいて、以って火坑に堕つる」とおっしゃっています。
仏法を曲げて、人々をだましている罪は、山賊よりも恐ろしいと言われていることを、貴方はご存知ですか。

山賊は、山中で旅人から欲しいものを取り上げたあとは、里へ出る道くらいは正しい道を教えるが、まちがった説教をする坊主は、門徒から取るものだけ取った挙句に、地獄へ突き落とすのだから、山賊よりも罪が重い、と言われているのです。

世界の光と仰がれる「親鸞聖人」のお名前を騙って、大衆をだまし、不幸のどん底に突き落としてきた本願寺の罪を、貴方はどれほどに感じておられるのでしょうか。

ふがいない、どころではないのですよ。

蓮如上人は、親鸞聖人の教えをねじ曲げるものに対して、「切り刻みてもあくかよ」と、おっしゃっています。

今日の浄土真宗の衰退の原因は、ひとえに現在の本願寺にあると断定しても、決して過言ではないでしょう。 

>あなたのサイトに、「やっぱり本願寺の関係者だったか」という表現があったかと思いますが、
>なぜそのように思っておられるのか、本当に不思議です。

不思議でもなんでもありません。

貴方は、そんな本願寺の僧侶と手を組んで、まじめな親鸞会会員に親鸞会をやめるようにそそのかしているではありませんか。

また貴方自身が、そんな本願寺末寺の身内ではありませんか。

教えの正当性については、過去、何度も親鸞会と本願寺との間で、どちらが本当の親鸞聖人の教えか、という論争がありましたが、その都度、親鸞会の主張の正当性が明らかになっています。

その最大のものが、宿善論争です。

本願寺の最高の学者である勧学寮頭や伝道院長(どちらも故人)らの批判に対し、親鸞会から質問状を送付し、いまだ本願寺から返答がない、というものです。

その経緯を明らかにし、本願寺の誤りを正されたのが、高森先生の「本願寺なぜ答えぬ」です。
(参考:西本願寺さんお答えください

ところが貴方は、その「本願寺なぜ答えぬ」の内容を非難している。貴方のサイト「親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか」ですが、内容は、「ひどい」の一語。だれも相手にしないのも、当然でしょう。

問題の本質である、三願転入に触れてもいないのですから。

だからまちがいなく貴方は、本願寺の関係者であり、協力者であり、擁護者ではありませんか。

>私は親鸞聖人の教えを親鸞会でした聞いたことがありません。
>ですから、親鸞会の教えは知っていても、親鸞聖人の教えについて、
>正確に吟味できる状態ではありません。

そうでしょうね。しかも、その親鸞会の教えの理解も、初歩的なことから間違っています。

つまり、親鸞聖人の教えが、まったく分かっておられないのです。

蓮如上人のお言葉も、少しも心にないのです。

つまり貴方は、親鸞学徒ではないのです。

だから、本願寺に対する認識も、その程度なのですよ。

だからこそ、高森先生のご説法の素晴らしさも、親鸞会の存在がどれほど大きな意義を持つかも、まったく分かっておられないのです。 

>ただ私は、親鸞聖人の教えがマインドコントロールだと言っているのではなく、
>「親鸞会の活動にマインドコントロールの要素があるのでは」と疑問を投げかけている
> のですよ。

貴方の「マインドコントロール論」など、すでに完全に破綻しているのに、それでもこうしてしがみつく。その精神状態に、深いあわれみを感じています。

あなたのいう「マインドコントロールの要素のまったくない団体」が、人間社会のどこかにあるのですか。
マインドコントロールという言葉の呪縛から、はやく目を覚ましてもらいたいものです。
(参考:マインドコントロールと親鸞会の真実)  

>以下をよく読んで頂ければ、読解力のあるあなたには、分かられるかと
>思いますが、いかがでしょうか?
>
>なぜ私は親鸞会をやめたのか マインドコントロールについて

つまらない内容でした。

本当は、もう少し哲学的に突っ込んでくるかと、別な意味で期待もしたのですが、無理でしたね。

無意味な労作、というしかありません。

もっともっと、仏法をしっかり学んでください。

親鸞聖人の教えを、しっかり聴聞してください。

 

では、以下の質問に、今後こそお答えくださいね。

貴方の人生にとっても、とても大切なことばかりですから。
まず、初めの5問からでも結構です。

 


(1)「信心決定はユートピア」と述べておられましたので、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉で、「信心決定という体験は間違いなくある」と明らかにいたしました。お分かりになりましたか?

(2)「親鸞会の教義」と何度も繰返されますが、「親鸞会で教えられていること」と「親鸞聖人の教え」とは、どこか違いが有るのですか?

(3)「反証不能な因果の道理が、なぜ真理といえるか」というナンセンスな質問を繰返していますが、貴方は「反証可能なものでなければ、真理ではない」と思っておられるのですか?

(4)科学的な真理のすべては「反証可能な仮説である」ということは、少しでも科学を勉強した人にとっては常識ですが、貴方はご存知ですか?

(5)「因果の道理は錯誤相関」と述べておられますが、因果の道理を根幹として説かれた仏説を、貴方は否定するのですか?
そもそも貴方は、お釈迦様をどういうお方だと思っているのですか?
自分は釈迦以上の人間だと思っておられるのですか?

(6)キリスト教社会では、生まれた子供に親が洗礼を受けさせ、教会に通わせ、神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と贖罪等、これらを宗教とも言わずに教え込み、信じるか信じないかの判断力さえない子供に信じ込ませています。
彼らは、天地創造や原罪、処女降誕、キリストの昇天や復活など、およそ今日の科学と相容れない教義を、自然科学的法則や歴史的事実のように語り、クリスチャンは普遍的真理として受け入れています。だから、その後自らの力で、教え込まれた知識体系に客観的に反駁することができないのです。
 このことは、ユダヤ教でも、イスラム教でも同様です。
 死んだら天国、神の国へいけると狂信して、自爆テロまでするものが、後を絶ちません。
 「青春を返せ」どころか、「人生を返せ」ではありませんか。
 さて、これは内心の自由に不当な影響力を行使する、許されない行為ではないでしょうか。
 あなたの論法からすれば、これらの社会は、巨大なマインドコントロールをしていることになるのではないでしょうか。

(7) 作家の五木寛之氏は、「人生の目的」という本の「あとがきにかえて」 の中で、「悟り、来世、浄土、輪廻」などは物語だと書いています。
この五木氏を、何と本願寺は賞讃しています。淨土を物語として「死んだらお助け」と説いているという点で、同じ程度と言うことでしょう。
しかし、いかに共感して信じようとも、それが単なる物語であれば、やはりそれは、現実の苦しみから逃避するごまかしにすぎません。
いかに、死後の華降るお浄土を夢見ていようと、神の国を思い描いていようと、死ぬときには、「しまった。浄土も天国も御伽噺だった。神も仏も存在しなかった。思い込んでいただけだった」と言うことになるでしょう。
マルクスは、こんな宗教を「大衆の阿片である」といい、レーニンは、「毒酒」と言ったのです。この世の救いを説かぬ本願寺の教えは、まさに、阿片であり、毒酒といわれてもしかたありません。
親鸞聖人の教えと偽って、似ても似つかぬでたらめを教え、大衆を騙している本願寺こそ、マインドコントロールの親玉ではないでしょうか?。

(8)後生の一大事は自明のこと、と言いながら、まったくそれを説かず、また解決の一本道である「一向専念無量寿仏」も教えない本願寺が、もはや救いがたいほど腐敗堕落の極に達していることは、貴方も認められているとおりです。これまで、本願寺の多くの御門徒が、だまされてきた被害者であることを、貴
方はどう思われますか。
また、その本願寺被害者を何とか救おうとして、日夜、親鸞聖人の教えをお伝えしている親鸞会の活動を、貴方は阻害しているのですが、その自分の行為が、本当に「人助け」だと思いますか。

(9)貴方のサイトを見た、何人もの退会した方から、「私は、あんな恩知らずになりたくない」とか「親鸞聖人の教えは、今でも信じています。あんな卑劣な人間と一緒にしないでください」というメールを数多くいただいています。貴方は、これをどう思いますか。
つまり、貴方は、いろいろな事情で退会された方々の気持ちまで踏みにじり、傷つけ、新たな被害者を生み出していることになるのですが、このことを人間としてどう思われますか?

(10)この世でハッキリ救われるという「平生業成」の教えが、親鸞聖人の教え以外にありましたか?
お得意のネットで調べてみて、結果はどうでしたか?
人生の目的が、親鸞聖人の教え以外に見つかりましたか?

(11)『顕正新聞』には、大学生の子供から仏法を聞いた両親の喜びの声が、しばしば掲載されています。「親には言うな」というような指導が本当になされているのなら、こんな事実はどうなるのでしょう。 
また、祖父母や親戚、友人と一緒に聞法、という話もよく聞きます。
「ご恩のある人、大切な人に、仏法を伝えよう」という気持ちの表れではないでしょうか。
事実、一人の大学生から親へ、祖父母へ、お世話になった人たちへと、どんどん法の輪がひろがっている事例が、いくつも報じられています。
「マニュアルどおりのことが組織的体系的に行われている」という貴方の主張と、まったく反しているこれらの事実を、貴方はご存知なのですか?

(12)「引き離し」「兼部カット」なども、仮にこれが事実としても「巧みな情報操作」などという大げさなものでしょうか。
熱心なサークルなら、どこでも「兼部するな」と言うし、それがいやなら、やめればいいだけの話です。「引き離し」など、みんなケータイのメール交換をして自由に連絡を取り合っている時代に、できるわけがありません。
それでも貴方は、「親鸞会ではマニュアルどおりのことが行われている」と強弁するつもりですか?

(13)あたかも仏説の全てを、「人間の智恵で、全て理解できる」と誤解を与えかねない表現を使っている、とのことですが、そんな誤解をするのは、貴方くらいではないですか。
「絶対の世界が、相対の人間の智恵で完全に理解できるはずがない」というのは、大学生程度の知性があれば、普通は常識です。
また、そのように何度も言われたはずです。
親鸞聖人も、弥陀の誓願を「難思の弘誓」「超世の悲願」「弥陀の誓願不思議」と言われ、救われた絶対の境地を「不可称不可説不可思議の信楽」と喜んでおられるとおりです。
「仏説のすべてを、人間の智恵で理解できる」などとは、普通、誰も思いもしませんが、貴方は思われたのですか?

(14)貴方が展開しているような、「マインドコントロール論による入信の説明」を、専門家は不毛と断じ、「宗教社会学の議論からは認めることができない」と批判していますが、それでも貴方は、「親鸞会はマインドコントロールしている」と言い張るのでしょうか。

(15)親鸞会のように、過去50年間、反社会的な問題がまったくなく、地域の皆さんとも良好な関係を保ち、学生たちにしても、「酒もタバコもやらず、ギャンブルや乱れた異性関係などもない、親鸞聖人の教えを学ぶ、まじめな集り」に対して、「マインドコントロール」などという言葉自体が、そもそも不適
切と思われますが、どうでしょうか。

(16)「整理整頓」「お世話になっている人に感謝しよう」「時間を守ろう」「あいさつしよう」などなど、人間として当たり前のことが、親鸞会ではいつも勧められています。
因果の道理に基づいて、このような善をすすめることが、マインドコントロールになるのでしょうか。

(17)人生の目的・信心決定に向かって、親鸞聖人の教えの根基「三願転入」を説ききる親鸞会を、「マインドコントロールだ」などと、貴方は本当に思っているのですか?
最も大切な部分を隠して、誤解を与える事柄だけを、針小棒大にことさら取り上げる論法は、まさに非難のための非難です。

(18)親鸞会では、「仏」の説明で、仏法でいう真理は、「科学的真理でもなければ、数学的真理でもない」と、必ず説明されます。つまり、自然科学的な法則とは違う、ということですが、10年も聞いたというのが本当なら、こんな初歩的なことも、貴方は本当に知らなかったのですか?

(19)釈尊45年間の教えを、一度に新入生に伝え、理解してもらえる方法などあるのでしょうか。「小出しにして、いつのまにか本人の意志で納得して選んだ形をとる」のがいけないとするなら、およそ、人間同士の交渉は、すべて成り立たないと思われますが、いかがでしょうか。
こんな悪意に基づく無意味な非難が、貴方の場合、多すぎるのではありませんか。

(20)結局、貴方の批判は「マインドコントロールとは何か」という本に書かれていることに、事実かどうかも分からないようなことを、ただあてはめて、「だからマインドコントロールだ」と言っているにすぎません。
こんな論法なら、どんな団体でもマインドコントロールしていることにできるのではないでしょうか。

(21)親鸞聖人の教えを学び、光に向かって人生を生きていくのなら、私は、素晴らしいことだと思います。
貴方は、学生時代に仏縁を結び、社会に出て、いろいろな事情で仏縁が遠ざかった方に対して、「マインドコントロールされていた、親鸞会の犠牲者だ」と思っているのですか?
そんな勝手な決めつけは、それらの方々に対して失礼であり、傷つける心無い言葉ではないでしょうか?

(22)もし、それらの方々が、世の無常や自己の罪悪を知らされたことで苦しんでおられるのだとしたら、それこそ、仏教の結論であり、親鸞聖人が命がけで開顕された「一向専念無量寿仏」を説ききるしか本当の救いはないと思われますが、いかがでしょうか。

 

 以上、よろしくお願いします。

次 >> 5月6日のメール

 


  <<前 >>次